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灼熱――評伝「藤原あき」の生涯(103)

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 あきの出馬した参議院議員選挙当日、昭和37(1962)年7月1日、日曜日の夜9時過ぎのことだった。  有権者の6割以上が投票に出かけた日の晩は、昼間に反してことのほか静かで、厚い雲に蓋をされた地上は陽が落ちても蒸し暑かった。  藤山愛一郎経済企画庁長官は首相官邸を訪れ、対応した大平正芳官房長官に、たった今辞表を提出してきたところだ。  永田町から私邸の白金台に戻る道すがら、車の後部座席に深く座る藤山はとぎれとぎれの店のネオンを見すごしながら、明日から始まる平日の1週間を想像し「正念場だ」とつぶやきながらこぶしをにぎった。  辞意の理由は2つある。  1つは、池田内閣の経企庁長官でありながら、池田と経済対策の考え方が大きく違うことだ。 「池田さんが『所得倍増論』をもって総裁選に臨んだときには、安保騒動のあとの国民感情をおさめるためにも『うまいことをいうものだ』と感心した。しかし、それは一時的な戦術として評価したにすぎない。国民総生産13兆6000億円を10年で27兆2000億円くらいにしようというわけだが、実際には80兆円くらいにふくらんでしまった。ふくらみすぎるとゆがみが出るので、経済全体のバランスの取れた成長を考えなくてはならない」  と安定型の成長論を主張している。  時を戻すと3カ月前の4月、藤山の古巣である経済同友会にて、藤山はこう発言した。 「現在の国際収支悪化、金融窮迫、物価高騰に対して政府も反省すべきである。経済成長は高いほどよいという考え方は問題で、経済全体の均衡を主眼にすべきである」 「低金利政策は設備投資を刺激し危機の原因をつくった」  この発言が閣内不一致として大問題になった。国会でも社会党からの追及を受けていた。  2つ目は、もともと経済政策が合わないことがこれ幸いしてか、総裁選に再び挑戦する構えに入ったということである。いや、まだはっきりと出馬を決めたとは言えない。ただ、自分が閣僚を辞任すれば周りはおのずと出馬を想像するであろう。  前回の初めて出馬した総裁公選から2年、もともと総理総裁の座を目指し国会議員になったのだ。景気対策を焦点に再び一戦交えるのもよいではないかとも考える。  となると池田内閣の閣僚を辞任するのがまずはじめだと考えたのが、先の問題発言となった直後だ。  河野一郎農林大臣に相談したところ、 「7月の参議院選挙前に辞めれば選挙にひびく。党人として、そのような行動は絶対に取るべきではない」  とたしなめられた。では、いつ辞めればいいのか。  たしかに自分はいま「藤原あき」を出馬させている、この分だとあきは大量得票を取り、藤山派の1人として大手を振ってバッジをつけるであろう。あきの出馬の反響は社会現象となり、自分イコールあきというのは浸透しつつある。そこで今閣僚を辞任すれば、確かに話がややこしくなるし、あきに入る票も大きく減る可能性もある。  総裁公選は7月の14日にせまるわけで、ピンポイントの時を狙うしかない。それが7月1日の晩で、投票箱が閉まってすぐの7時半に大平官房長官の家に電話をした。 「今から、できれば官邸で会いたい」 「車も返してしまったし、今日はカンニンしてくれ。明日でいいじゃないか」 「どうしても会ってほしい」  強引に話し、藤山は車を飛ばした。 「経済政策の意見の違いもある。辞めさせてもらいたい」  翌日、池田との会談で辞意撤回を求められるも藤山は首をたてにふらず、経企庁長官のポストは内閣総理大臣が代行することになった。  閣僚は辞任したが立候補の最終決断にまだ悩む藤山に、背中を押してくれるような一筋の明かりが差し込む出来事があった。  藤山は、自ら筆をとるほど絵画が好きであり、ヨーロッパの名画を収集していた。  ところが少し前、川崎市のデパートの展示会場に貸し出した愛蔵のルノワールの名画「少女」が、忽然と姿を消した。怪盗ルパンか、はたまた怪人二十面相が仕組んだように、人々の目をくらませる盗難事件が起こった。  所有者が時の経企庁長官だったことからも事件が話題となり、藤山自らもマスコミに登場し犯人に対して返却のお願いの呼びかけをした。  池田との会談の直後、その名画が路上駐車してあるトラックの荷台に投げ込まれてあったのを発見されたのだ。このタイミングは、天が味方についてくれたに違いないと藤山は考える。  藤山派は新橋の料亭「初竜」に集まって作戦会議を開く。  元岸派の南条徳男たちは「立て」と言い、小沢佐重喜や江藤真澄などは「党の世話役をやらずに総裁選に出たいといってもダメですよ」「慎重に」という意見で話はなかなかまとまらない。  一方現職の池田の立場も安泰ではなかった。 「所得倍増」という後世に伝わる名キャッチフレーズを掲げ、「実力者内閣」と呼ばれる組閣をしたが、それから2年になる。  自民党結党から7年。脈々と続く派閥体制に党内からも批判が噴出し、より新しい政治をと求める声が出ていた。最たるものは、福田赳夫ら国会議員105名が結集した「党風刷新懇話会」だ。  党の近代化と統一のため、これを妨げている派閥体制を打破し、強力な指導力を確立することを主とした会であり、総裁選では一切の情実と派閥の拘束を排して、党員の人格に基づく自主投票の原則を貫徹とした。  池田批判も聞こえてくる状況ではあったが、藤山は友人や大野伴睦副総裁に説得され、決意表明からわずか1日で立候補を断念した。  大野から、 「将来、君が立つときは全面的に協力する。自分はいっぺんは君を総裁にしてみたいと思っている」  と提言してくれたことも大きかった。  藤山はそう遠くない未来に希望を託した。  総理総裁になるべく政界に入ったわけである。2年後に焦点をあわせ邁進していこう。  藤山の盗難されたルノワールの絵画には後日譚がある。  盗難に遭い犯人に返却の呼びかけをした際、「返してくれれば国立西洋美術館に寄贈する」とも話していた。めでたく美術館入りしたその絵は、贋作、偽物だということが分かった。  調査した結果、贋作を200点も描いたという画家、滝川太郎のものだった。「オレは一流の贋作師だ」と一升瓶をあおりながら滝川は自虐する。  この事件はそれからの藤山の運命を示唆するような出来事となる。  名画の贋作をつかまされ、政治でも「総理総裁の座」という贋作ならぬ幻想をつかませられながら翻弄されることになる――。  あきの国会活動は順調に滑り出していた。  女性国会議員の割合は参議院で1割前後、衆議院では1割以下と低い。  あきは自分が選挙の時に発したコメントを思い出す。 「国会議事堂の中に1人ぐらい女性らしい女性がいてもいいと思う。女は女でなけりゃできない仕事があると思うの」  女子学習院の同級生だった社会党の加藤シヅエ以外は、いったいどんな女性たちが国会議員なのだろうか。  強いていうなら、今の野党に多い婦人運動家の女性にはあきの固定観念がある。たいへんな私見をいうと、あきが仕事としてきた「おしゃれ」に気を使う女性たちとは対極にいる人たちなのではなかろうか。そして、勇ましい発言のわりに夫や自分の男性には意外にも従順な良妻であるということも、女でいたことの長かったあきには想像がつく。  すると、印象の強い男性に囲まれてあまり目立たない自民党の女たちとは、どんな人間であるのか。  戦々恐々とする中、先方から元気よく声をかけてくれたのは、婦人参政権が行使された戦後初の衆議院選挙に当選してからのベテランで、参議院へ鞍替えした山下春江だった。 「わたしは子供がいないから、保育政策はあき先生に期待してるわ。お互いに頑張りましょう」  二階堂体操塾一期生という経歴で、いかにも機敏な物腰で男まさりの山下が、すがすがしい笑顔で固い握手をしてくれた。  山下春江という元衆議院議員があきの出馬を「票が割れる」ということで最も警戒しているということは、誰からともなく耳にしていた。それなのに山下の方から親しみを持って接してきてくれたことに驚き、あきの方こそ山下に強い好感を持っていく。  山下は池田派であるが、婦人ならではの政策を議論するときなどは、こうして婦人たちで派閥を超えた意見交換も良いと思うし、党派を超えた女性たちでさえ連携が取れるのではないかと思う。  藤山から聞く権力闘争は男たちの嫉妬のうずにまみれているが、少数派の女性たちは実にサバサバしているではないか。  のちにあきが自分の秘書に聞いたところ、山下春江は「国会キス事件」の被害者だという。 「国会キス事件」とは、昭和23(1948)年大蔵大臣の泉山三六が、泥酔したまま予算委員会に出席し、その後国会の食堂で山下春江議員に抱きつきキスを迫り、抵抗されたところ泉山が山下のアゴを噛んだという事件である。  あきはその話に失礼ながら声をだして笑ってしまった。柔道2段という男顔負けの山下の抵抗に、相手を間違えたんじゃないかしら。  毎日いろいろなことが起こり面白おかしくマスコミが書き立てる世界にあきは、 「選挙のみそぎを終えた私にはわかるわ。ここは日本中の『気』が集まっているところなのよ。いろいろな人の欲望が交差する場所だから、集まってきた因縁によっていろいろな事件が引き起こされるのよ。ここは伏魔殿かと思って来たけれど、因縁生起の人間味あふれる場所だと思いなおすことにするわ」  と話す。 「国会キス事件」によりその後泉山は議員辞職し、国会では飲酒は禁止された。  この事件によって知名度を上げた泉山は、親しみを持って「大トラ大臣」と全国で呼ばれ、調子に乗ったかのように参議院全国区に出馬し2期連続当選を果たした。  しかし3期目を狙った参議院選では因縁の山下が当選し、大トラは落選した。  子供をどう産むかいつ産むかの決定権は女性にあると提言するアメリカの活動家マーガレット・サンガーに強く共感する加藤シヅエは、日本のサンガー女史との異名をとる。  100万票超えのあきとシヅエには注目が集まる。同窓生だった社会党・加藤シヅエとは婦人政策では是々非々でも、大筋意見はあきと対立していくであろう。2人の共通点は、家同志の事情で封建的な結婚をさせられたにもかかわらず、自分の意志で離婚し新しい伴侶を見つけ新しい人生を切り開いたことである。そんな同じ境遇の2人が、相反する意見を戦わすことも注目されている。  あきは国会に来て腰を抜かすほど驚いたことがあった。  自民党女性議員の重鎮、日本初の女性大臣となった中山マサも親しみやすくあきに手を差しのべてきてくれた。  話の中で教えてくれたことがある。 「国会ってところはね、女性の御不浄がないのよ。あきさんなんかは信じられないことでしょう。ですからね、本会議のベルが鳴る直前に、ささっと男性のところで済ませてくるのよ」  女性のトイレがない職場とは信じがたい。これは藤山からも聞いていなかった話だと、なんだか騙されたような印象を持った。  あきは義江との洋行を思い出す。格式のあるトイレというのは使用後、女性が口紅を引き直したりする優雅な空間であり、心休まるひと時を過ごすことのできる空間である。  ここは恐ろしい場所だ。やはり女性にとっての伏魔殿だとあきは考える。 「愛さん、今回は総裁公選は見送りね」 「せっかくあきちゃんには一等賞で来てもらったけれど、次回に全力をかけるよ」 「その方がいいかもしれないわね。2年なんてすぐですから」 「ここからが始まりだ。福田さんがやってる脱派閥の会もできたけれど、頂点を目指すには、やはり派閥の争いなんだ。僕は全精力をかけるよ。これはかなり党内が荒れると思うけれどね。あきちゃんみたいに突出した得票数がもらえて世論を味方につけることができれば話は変わるかもしれないけれど、今の制度では権力闘争の先の頂点だからね」  7月14日総裁公選当日。  当初は佐藤栄作、藤山愛一郎が立候補するであろうとみられていたが、佐藤も田中角栄の猛烈な反対により出馬を断念していて、池田総裁が信任投票で再選した。  池田は前回の246票より大きく票を伸ばした391票を獲得したが、37票の散票と無効票38票のあわせて合計75票の池田批判票が明らかになった。  散票の中には藤山愛一郎と書かれたものが3票あった。  すでに次回を見すえ戦闘態勢に入った藤山自身とあきが書いた、少し早い宣戦布告の2票であったことは間違いない。

佐野美和

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