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[寄稿]“嫌中”を越えてーバランスの取れた中国観のために

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ハンギョレ新聞

中国の開発方式は、世界にとって希望ではないが、非難ばかりされることでもない。単に世界全体とともに苦痛の道を歩いているだけだ。THAAD配備のような米国式「中国牽制」は、中国人民の苦痛を減らすどころかむしろさらに増幅させる。米国や中国のような帝国に肩入れせずに、中国の現実を冷静に見守り、開発主義や帝国的支配の被害者と連帯する道こそが、私たちが進むべき道なのではないだろうか。  私が韓国を初めて訪れたのは1991年だった。私が通った高麗大学の総学生会長は、当時チェ・ホンジェだった。後に転向し現在はニューライトとして活動している、まさにあのチェ・ホンジェであった。しかし、その時はチェ・ホンジェらの総学生会指導部が発行する国際情勢関連資料を見るのは非常に興味深かった。私は彼らの左派民族主義的理念を共有することはなかったが、湾岸戦争を契機に世界的一国体制を指向した「米帝国主義」に対する分析は、実に読むに値した。崩壊に向かう中で、米国の覇権主義に対する批判意識を失った末期のソ連とは、「反米自主」という内容の大きな横断幕が学生会館にかかっていた高麗大学はそれこそ対照的だったのだ。  運動圏もそれから遠からずして共に崩壊したが、米国の覇権主義に対する批判意識はその後も消えずに残っていた。2002年のヒョスンとミソンの無念な死(在韓米軍の装甲車が女子中学生2人を轢いて死亡させた事件)が触発したろうそくデモの中で盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権が誕生した。その盧武鉉政権がイラク派兵を決めるや、支持層が半分も離れたのを見ただけでも、米国の侵攻に対し共犯行為を敢行することが韓国の政治家として当時どれほど危険だったのかを知ることができる。2008年のろうそくデモも、米国に対する「屈辱外交」によってその導火線に火が点いたのだった。しかし、2010年代を経て米国の覇権主義に対する過去のような反感は静かに痕跡をなくし始めた。2017年8月、スタートしたばかりの文在寅(ムン・ジェイン)政権のTHAAD配備に賛成する世論が71%にもなったという記事を読んだ時は、最初は我が目を疑うほどだった。2000年代を考えれば途方もなく激烈なデモが起きたような事案であり、批判者の目には「親米屈従」と見えたほどの政策なのに、世論がなぜこの決定をそれほど素直に受け入れるのか、疑問を感じた。しかし、考えてみれば答は明確だ。「反米」を忘却させる「嫌中」の時代が韓国に訪れたためだった。  ろうそくデモが広がった2008年をみても、韓国人の中国に対する好感と反感はそれぞれ約43%で、ほとんど同水準だった。しかし2017年になって状況は大きく変わった。米国の世論調査機関であるピュー研究所によれば、2017年には中国に対する韓国人の好感度は、反感61%、好感34%であった。現在、中国に対する好感度は30%にもならないほど落ちたが、基本的なパターンは概して同一だ。反感は好感より約2倍も高いのだ。2019年現在、韓国の全貿易額の26.5%を占め、約72兆ウォン(6.4兆円)の貿易黒字を抱かせる隣国でありパートナーに対するこうした態度は、絶対に自然発生的なものだけではない。「嫌中」の震源地は、ユーカー(遊客、中国人観光客)で金を儲ける商人や中国市場を逃せない輸出企業の会社員ではなく、ほとんどが米国留学経験のある世論主導層だ。だとしたら、彼らの中国観の基本的な問題は何なのだろうか。  先に一つ断っておく。私は中国を理想化または美化するつもりは毛頭ない。私たちにとって今必要なことは、1980年代の運動圏が見せた「現実社会主義」に対する非現実的な美化でなく、チェ・ホンジェのように転向して極右派になった運動圏出身のニューライトが掲げる欧米圏の「資本主義文明」の理想化された姿ともまったく違う。私たちにとって運命的に離しがたい関係にある中国のような隣国に対する客観的な理解がまず必要で、その理解を基盤として成立したバランスの取れた中国観が必要だ。  実際、すでに1980年代にもそうだったように、今の中国“社会主義”は、単なる“名分”に過ぎない。中国は、官僚資本主義国家であり、圧縮的成長を追求する開発主義国家だ。さらに今日の中国の国境は、ソ連の圧力で独立を勝ち取ったモンゴルを除けば、清国の国境ほとんどそのままだ。すなわち、中国は生まれつきの“帝国”だ。この帝国の地図に入ることになった多くの辺彊の少数民族は、自分の意志で中国公民になったわけではない。そして、旧エリートを除去した革命を経た社会である中国では、革命主導勢力の後継者が“党”の形で社会・経済・文化全般に対する徹底した支配(“領導”)をしている。言うなれば(その起源は左派的な)権威主義社会であるわけだ。開発主義、帝国、そして権威主義…。誰が見てもこうした組合わせは、当然多くの弊害を生まざるをえないだろう。実は、環境破壊や一部少数民族に対する強圧的支配から労働搾取、民主的労組を組織しようと試みる活動家に対する弾圧まで、「中国の問題」は数えきれないほど多い。  では「嫌中」は正当なのか?そんなことはない。なぜなら、上で述べた問題のどの一つも中国だけの問題ではないためだ。労働搾取と民主的労組の不在?それにより金を儲けるのは、優先的に韓国企業を含む外国の投資企業らだ。最近は退潮を示しているものの、2013年まで韓国企業の中国投資はASEAN全体に対する投資より多かった。中国の公害問題を研究する私の同僚の研究者の分析によれば、北京のような都市のきわめて高い大気汚染度は、住民の期待寿命を3年縮めるほどに健康に致命的だ。しかし、こうした劣悪な条件で生産される低価格製品は、こんにちまで世界の主要企業を肥えさせ、新自由主義的な実質賃金凍結、すなわち先進国での人件費節減を可能にした。1970年代から実質賃金が上がらなかった米国の労働者たちは、中国産の低価格商品を消費してこそ耐え忍ぶことができた。辺彊の少数者や香港のような西側との中継貿易の中心地に対する抑圧は、“帝国”中国の問題でもあるが、同時に列強間の力学関係の問題でもある。新疆に対して1930~40年代にソ連は大きな影響を及ぼしたし、チベット武装独立運動は1972年まで持続的に米国が支援してきた。中国も帝国だが、中国と競争または協力をする他の大国ははたして何か?そして、党のメカニズムを通じて人材を発掘し配置することによって、低所得層出身者にも一定の「身分上昇の機会」を与える中国式権威主義は、はたして民衆を“抑圧”するだけだなのか?  中国の開発方式は、世界にとって希望ではないが、非難ばかりされることでもない。単に世界全体とともに苦痛の道を歩いているだけだ。THAAD配備のような米国式「中国牽制」は、中国人民の苦痛を減らすどころかむしろさらに増幅させる。米国や中国のような帝国に肩入れせずに、中国の現実を冷静に見守り、開発主義や帝国的支配の被害者と連帯する道こそが、私たちが進むべき道なのではないだろうか。 朴露子(パク・ノジャ、Vladimir Tikhonov) ノルウェー、オスロ国立大学教授・韓国学 (お問い合わせ (お問い合わせ japan@hani.co.kr ) )

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