あまり報道されない重傷事故の「その後」 被害者の母親と、足切断の男性が語った苦難
支払いは年間100万件
交通事故でけがをした被害者に、自賠責保険が支払われた件数は、昨年度だけで100万6272件に上る。これは、日本の約120人に1人が、1年に1回、支払いを受けている計算になる。交通事故の死者数はこの数年、3000人台で推移していることを踏まえると、けがをする人の数は桁違いだ。決して他人事ではない。
また、けがをした人のうち約5%が、「将来にわたって回復困難」と判断され、自賠責の後遺障害等級認定(1~14級)を受けている。一瞬の事故を境に、その後の人生を大きく変えられてしまうのだ。 長野県在住の水野敦重さん(56)は、27年前の交通事故で左足を失い、後遺障害3級の認定を受けた。 「切断後は義足になりました。でも27年経った今も、ないはずの左足がひどく痛むことがあるんです。『幻肢痛(げんしつう)』と言われるものです。これが襲ってくると夜も眠れません」
バイクで走行中、車が追突
1993年3月5日午後10時ごろ、水野さん(当時29)は250ccのバイクで、神奈川県川崎市のガソリンスタンドに立ち寄った。 「給油を終え、誘導してくれた店員とともに道路左側の信号が赤になったことを確認し、右折しながら発進しました。道路に出てほぼ直進状態になったとき、突然、後ろから大きな衝撃を受けました」 乗用車に追突され、激しく路面に叩きつけられた水野さんは、バイクとともに26メートル滑走して停止した。ふと目をやると、左足のつま先がまったく逆の方向を向いていた。
「左大腿部の開放骨折」と診断された水野さんは緊急手術を受けたが、術後の経過は思わしくなく、事故から25日後、大腿部からの切断を余儀なくされた。 「切断後の痛みは、言葉で言い表せないほどつらいものでした。それだけではありません。足をなくし、この先どうやって生きていけばよいのか。不安に押しつぶされそうでした」 切断された左足はまもなく火葬され、骨つぼに収められた。自分の身体の一部が先に墓の中に入るというのは不思議な感覚だった。