幻の野菜「亀戸大根」、伝統野菜とビジネスのいい関係
大竹さんによると、東京の伝統野菜は、江戸の成り立ちと深く関わっているという。江戸時代の初期、徳川家康が幕府を開く。全国から大名や商人らが移り住み、人口が急速に増加した。彼らの生活を支えるのは食料だ。新鮮野菜が不足した。参勤交代が制度化されると、大名は国元の野菜の種を持ち込んだ。練馬大根の種は、徳川綱吉の時代に尾張の国から取り寄せられたという話もある。 JA東京中央会は2014年、「谷中しょうが」や「川口えんどう」など新たに6種類を江戸東京野菜として承認、現在は40種類にのぼる。しかし、亀戸大根をはじめ、伝統野菜が一般に広く流通していないのは、ビジネスとして成り立ちにくいからだ。 時代のニーズに合わせて改良された「F1種」に比べたら、伝統野菜は、形が揃わないし、流通にも乗りにくい。大竹さんは「ビジネスマンに伝統野菜栽培の話を持ちかけると、儲かるか儲からないかの話になる。しかし、これは歴史や文化の問題なので、学校から文化を広げていきたい」と話す。 大竹さんは2009年、墨田区の第一寺島小学校で創立130周年を記念して伝統野菜「寺島なす」の復活させた。江東区の第五砂町小学校では、「砂村一本ネギ」が復活した。この小学校では、毎年、5年生から4年生に種の贈呈式が行われる。「このセレモニーが大事なんです。先生が子どもに種を手渡しただけでは、伝統野菜のつながりが伝わりません」。
そういう状況のなかで、割烹「升本」と中代さんの関係は、良好な関係を保っていると言える。中代さんがF1種の小松菜から伝統野菜である亀戸大根の栽培に切り替えたのも「升本」という伝統を受け継ぐ老舗の存在があったからだし、「升本」は中代さんのような栽培農家がいないと食の伝統が継承できない。ビジネスの関係とも言えるし、伝統を継承する同志とも言える。 小学校という最も地域に根ざした教育の場で伝統の野菜を受け継ぎ、それが商売として成り立ち、日常生活のなかで歴史を感じながら普通に食されている。そんな未来は来るのだろうか? 2020年には東京オリンピックが開かれる。日本の伝統を世界にアピールする、ビジネスとしても大きなチャンスだ。「京野菜は、京都で食べると雰囲気がありますね。伝統野菜である江戸東京野菜を東京のおもてなし食材として食べていただきたいのです」と大竹さんは言葉に力を込めた。