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対談:レナート・バルディ×片野道郎「サッカーおたく」が世界を変える

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7/29(水)発売『モダンサッカーの教科書II』刊行記念公開

7月29日に発売される『モダンサッカーの教科書II』。その刊行を記念して、大好評の前作『モダンサッカーの教科書』に収録された対談を特別公開。共著者の1人であり現在ボローニャで冨安健洋を指導するレナート・バルディは、10部からプロ指導者への道を切り開いた「新世代コーチ」として知られている。その軌跡をたどり、新たな教科書の発売日に備えて予習をしておこう。 プロ選手経験が重視されるイタリアの監督・コーチ業界において、一介のアマチュアコーチがセリエAまで出世するのはレアケース。しかし、情報テクノロジーの進歩を背景に最先端のサッカーをボーダーレスに研究する“サッカーおたく”が、その道を究めることでトップレベルに羽ばたくケースは、欧州全体で急速に増えている。そのトレンドの一端を担うバルディに、取材時点(2018年4月)までのユニークな指導者キャリアの歩みを振り返ってもらった。 インタビュー・文 片野道郎

グアルディオラに魅せられて

片野「南イタリア、サレルノに近いカーバ・デ・ティレーニで生まれ育ったんですよね」 バルディ「ええ。出生地は生まれた病院がある隣町のノチェーラですが、生まれてから今までずっとカーバに住んでいます。カーバとノチェーラは犬猿の仲なので、私がノチェリーノ(ノチェーラ人)だなんてことになったらカベーゼ(カーバ人)から袋叩きにされますよ(笑)」 片野「プロフィールを直しておきますね(笑)。まず、サッカーとの出会いから聞かせてください」 バルディ「サッカーは生まれた時からずっと私の周りにありました。家には1歳の時にボールを抱えていた写真が残っています。家族や親戚、友人たちもみんなサッカーが好きで、家の中でも外でもボールを追いかけながら育ったようなものです。 5歳の時にはもう地元のサッカースクールに入っていました」 片野「最近はイタリアでもストリートサッカーをする環境はなくなってしまいましたが、レナートの子供時代はまだありましたか?」 バルディ「ええ。私はストリートで育った世代ですよ。サッカースクールには週3回通っていましたが、それ以外の日も学校から帰ってきたら、暗くなるまでストリートやアパートの中庭でボールを蹴っていました」 片野「どんな子供でしたか?」 バルディ「ボールに触っているのが好きで好きで、いつもドリブルばかりしている子供でした。小さくて痩せていましたが足が速くてすばしっこかった。ポジションはずっとFWでした。近所の子供の中ではうまい方で、12歳から17歳まではセリエCで戦っていた地元のプロクラブ・カベーゼの育成部門でプレーしました。でも当時はレベルがすごく高くてレギュラーにはなれなかったし、自分がプロになれると思ったことは一度もありませんでしたね。周りよりちょっとうまいけどそれ以上ではなかったので」 片野「指導者に転身しようと思ったきっかけは?」 バルディ「17歳の時に慢性の恥骨結合炎になって、 2年近くプレーから遠ざからなければなりませんでした。それで競技レベルでのプレーは諦めざるを得なくなった。故障が治った後は、友人たちとチームを作って、大学に通いながら地元のアマチュアリーグで趣味としてプレーを続けました。サッカースクールで一緒だったエミリオ・デ・レオに誘われて、その同じサッカースクールで子供たちのコーチをしたのが22歳の時でした」 片野 「エミリオとはサッカースクール時代からの繋がりなんですね」 バルディ「5歳の時に同じサッカースクールに入って以来の仲です。中学、高校は別でしたし、サレルノ大学でも私は経営学、彼は法学と別々の専攻でしたが、友達付き合いはずっと続いていました。彼は早くから指導者の道を歩み始めていましたが、私はプレーする方が好きだったので、スクールのコーチは1年で止めて、その後も30歳までアマチュアのマイナーカテゴリーでボールを蹴っていまし た。大学を卒業した後は、税理士の国家試験に合格して、父が経営する税理士事務所で仕事をしていたんですよ」 片野「じゃあ20代は学業と仕事の傍ら、純粋なアマチュアプレーヤーとして過ごしたんですね。その頃は監督・コーチという仕事に特別な興味を持ってはいなかった?」 バルディ「もちろん1人のサッカーファンとしてたくさんの試合をTVで見てきましたが、どちらかと言えばプレーヤー目線で、戦術やトレーニングといった監督目線、コーチ目線で見ていたわけではありませんでした。サッカースクールでのコーチ経験も、それはそれで楽しいものでしたが、これを続けたいと当時は思わなかった。それが変わったきっかけは、2008年にグアルディオラのバルセロナに出会ったことです。あのチームの戦いぶりを見て、このサッカーはどういう仕組みで成り立っているのだろうという興味が突然湧いてきたんです。それで、バルセロナのすべての試合を何度も何度も見返して分析メモを作ったり、関連の記事や本を漁ったりして、自分自身のために研究を始めました。それを重ねるうちに、分析メモはかなりの量になっていきました。カベーゼの育成コーチになっていたエミリオにそれを見せたのがきっかけで、一緒にバルセロナをはじめとする様々なチームの戦術を研究するようになったんです」 片野「そこから戦術の沼にずぶずぶとはまっていったわけですね(笑)」 バルディ「そういうことですね。バルセロナに旅行して戦術やトレーニングについての本を買い漁ったりもしました。ポジショナルプレー、ロンド、戦術的ピリオダイゼーションといった、当時スペインやポルトガルで広まり始めた最新のトピックについての本ですね。それがイタリアでも広まるのはもう少し後になってからのことです。その翌シーズン(09-10)には、ノチェリーナのアッリエーヴィ(U-17)監督になっていたエミリオを外部からサポートして、毎週のトレーニング計画などを一緒に立てるようになりました。同時に、UEFAベースのコーチライセンスを取って、地元の育成クラブでエソルディエンティ(U-11)の指導も始めました。税理士の仕事の傍らでしたが、そうやって深入りしていくうちに、この仕事を本格的に突き詰めたいという気持ちが強くなってきました」

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