災害報道にパラダイム・チェンジを 京都大・矢守克也教授が問題提起
タイムライン型の検証には注意が必要
災害が発生してしばらくすると、大雨警報の発表時刻や避難勧告や避難指示の時刻、災害発生の時刻などを並べて、「避難指示を出すのが遅かった」などと批判するような検証が行われることが少なくない。確かにこのような検証によって問題点などが浮き彫りになることはある。 しかし、矢守教授はこれについて注意が必要だという。「多くの災害検証は、タイムラインを逆向で回顧しているが、実際には数分後に何が起きるかすらわからない状態で当事者はさまざまな判断を迫られている。すべてが明らかになった状態で『こうすべきだった』というのは簡単だが、何が起こるかわからない段階でも同じことが言えたのかどうかを考える必要がある」という。
新しいことばかりに光を当てる悪癖から卒業を
災害報道や災害研究では、これまでになかった新しい課題に注目が集まることが多い。しかし、「より重大で深刻なのは、繰り返し指摘されながら、放置されてきた『想定内』の課題だ」と矢守教授は語る。 今年6月の大阪北部地震では、ブロック塀の下敷きになった児童が犠牲になったり、多数の帰宅困難者が発生するなどしたが、「いずれもかつてわれわれが経験したことがある被災や被害で、危険、問題だと知りながら十分に手を打ってこなかったものだ」と指摘する。「研究も報道も、『既知だけど手付かず』のことを重視するべきだ」と提言した。
自分を振り返って
新聞社の記者として東日本大震災や御嶽山の噴火災害、熊本地震、いくつかの豪雨災害の報道に携わってきた。その中で筆者自身、矢守教授が問題と指摘したような観点での取材を何度も行い、行政に問題ありと考えた時には、その責任を問う記事も書いてきた。 自分や他の報道機関によるこうした報道によって、情報のあり方が改善の方向に進んだこともあり、すべてが無意味だったとは思わない。しかし、行政の責任だけでなく、被害発生の根本の原因に迫れていたのかと問われれば、「不十分だった」と答えざるを得ない。 矢守教授はこれまでの報道や研究のあり方をすべて否定しているわけではないと思う。ただ、偏りがあってそれが減災の観点から考えると問題なのではないか、という提言だと受け止めている。 飯田和樹・ライター/ジャーナリスト(自然災害・防災)