災害報道にパラダイム・チェンジを 京都大・矢守克也教授が問題提起
毎年のように日本各地で頻発し、人々の命を奪っていく自然災害。ひとたび大きな災害が発生すると、報道機関の目は、甚大な被害が発生したところに集中する。また、災害直後の行政や専門機関の対応の是非を問い、被害を想定していなかったことなどを批判することを繰り返してきた。 災害を「検証」するとはどういうことか──日本災害情報学会などが東京大でシンポジウム このような傾向に対し、京都大学防災研究所巨大災害研究センターの矢守克也教授は10月下旬に東京大学で開かれた日本災害情報学会・日本災害復興学会の合同大会で「減災のためには、災害に関する報道、研究もパラダイム・チェンジ(根本的転換)が必要ではないか」と問題提起した。その提言を紹介する。
潜在的な事例にも注目を
今年7月に岡山、広島、愛媛県などで甚大な被害が生じた平成30年7月豪雨(西日本豪雨)。報道の多くは、岡山県倉敷市真備町地区や広島県呉市など、極端な被害が出たところに集中した。これに対し、矢守教授は「私も含めて、報道機関や研究者は、このような大きな被害が出た事例に飛びついていきがちだ。しかし、本当に減災のための知識を得ようと考えた時には、こうした傾向は弊害となりうる」と指摘。「致命的な事例以上に『潜在的な事例』を重視するべきではないか」と語る。 矢守教授は史上初めて特別警報が発表された2013年台風18号の時の京都を例に説明する。「あの時、京都市内の桂川は危機的な状況にあったが、巧みなダム操作と水防団の土嚢積みなどの努力がかみ合い、辛うじて大きな難を逃れた。しかし、一部の専門家を除いてこうした事実は知られていない。だが、西日本豪雨で甚大な被害が出た地区でも、潜在的には難を逃れる可能性があった段階や、ほぼ同様の条件下であったにもかかわらず大きな被害が出なかった事例もあったはずだ。そのような『潜在的な事例』にもっと目を向けるべきだろう」という。
「空振り」という言葉を災害の世界から撲滅しよう
矢守教授は、日本社会は長年、行政に白(心配なし)、黒(今こそ逃げろ)をつけてもらうゲームをプレーし続けてきたという。災害報道も、「白のはずだったのに黒だった」(見逃し)、「黒といったのに白だった」(空振り)と責め立てることが多かった。そして責め立てられたほうは、白黒を間違えないようにする、情報の精度を高める、という方向に進むことで、このゲームの浸透に一役買ってきた。 しかし、これについて「空振りという言葉を災害情報の世界から撲滅しよう。白黒ではなくグレーが大切だ」と呼びかける。例えば、西日本豪雨の時、大規模な河川氾濫が生じたのに犠牲者ゼロだった、京都府京丹波町上乙見地区では、避難行動をとったが目立った被害がない「空振り」に近いことが、数年前に起こっていた。しかし、地元の消防団の人が、地域に来たばかりの住民に「今回逃げたことは空振りだと思っているかもしれないが、私たちはよく逃げたんだ」と声をかけた。矢守教授は「この消防団の人の言葉はとても大事だ。住民に対して、どういう理由で逃げなさいという情報を出したのかを説明し、逃げたことは無駄ではなかったと思ってもらえるようにする。これが、誰かに白黒つけてもらうのではなく、自分たちが主体的に判断する力を育てる第一歩となる」と話す。