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建国153年、現代カナダに今も息づく「ヌーベルフランス」の文化

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ナショナル ジオグラフィック日本版

ルイ14世により、カナダ植民地へ花嫁として送り込まれた「国王の娘たち」

 かつて「ヌーベルフランス(新フランス)」と呼ばれる土地が、北米にあった。北は現カナダのハドソン湾から南はメキシコ湾に至るまで、5つの領土から成る広大なフランスの植民地だ。毛皮商人や兵士、フランス国王が送った花嫁たちが入植して新たな生活を築いたが、そこは昔から先住民が暮らす土地でもあった。 画像:1667年、ルイ14世によって植民地へ送られた「国王の娘たち」  ヌーベルフランスの歴史は1608年から1763年までと短いが、そこで生まれた独特の言語、文化、歴史は、今もカナダ国民のなかに深く根付いている。

ヌーベルフランスの誕生

 フランスの探検家ジャック・カルティエは、1534年の第1次航海を皮切りに3度にわたって北米へ渡り、現在のカナダ南東部、セントローレンス湾を探検した。しかし、先住民イロコイとの争いや、天然資源の開発に失敗したことから、カルティエは植民地の建設をあきらめ、フランスへ戻った。  フランスが再び北米へ進出したのは、それから半世紀後のこと。1604年にセントローレンス湾を取り囲む土地を植民地化し、アカディアと呼んだ。その4年後、そこからさらに内陸へ入ったところに、探検家のサミュエル・ド・シャンプランがケベックシティを築いた。ケベックはその後、フランスのカナダ植民地における最大の町へと発展していく。  フランス王室の計画は、ヌーベルフランスの管理を交易会社に任せて、入植者を送り込み、引き換えに動物など植民地の豊富な資源を手に入れるというものだった。  シャンプランは、カナダで毛皮交易を確立して富を築くことを夢見ていたが、初めの頃は入植者が少なく、毛皮を手に入れるのは思っていた以上に困難だった。おまけに、先住民イロコイとの争いも持ち上がった。

先住民との争い

 カナダでの暮らしは楽ではなかった。フランスの入植者たちは、未開墾の土地で厳しい冬に直面した。植民地の産業は農業と毛皮交易に大きく依存していたが、そのためには広い土地が必要になる。やがて、土地を奪われた先住民との間に争いが起きるようになった。  イロコイをはじめとする先住民の人々は、昔から猟場を共有し、自分たちに必要な分だけを捕り、土地と動物を精霊信仰の対象として尊重してきた。だが、入植者は先住民が普段捕っている以上に毛皮を供給するよう要求した。それに応えるため、先住民は狩りの量を増やし、それまでよりも遠くへ狩りに出かけるようになった。そして自分の部族を優先するようになり、他部族との協調の精神が崩れ始めた。  自分の土地でビーバーやシカが捕りつくされると、イロコイの人々はより広い猟場の支配権を握ろうとして、ライバルの部族を攻撃するようになる。ライバルだけでなく、そのライバルに味方する者であれば、フランス人の入植者であっても攻撃対象となった。  攻撃の原因は、猟場の支配権だけではなかった。ライバルの部族に親族を殺されたり、入植者が持ち込んだ伝染病で死者が出ると、イロコイの人々は捕虜を捕らえて死者の代わりとしなければならないと信じていた。また、死者を弔うためにも、報復は必要であると考えていた。  こうしてイロコイは次々にライバル部族を倒し、フランス人の植民地にも奇襲攻撃を仕掛け、1660年代にはヌーベルフランスの田舎の土地をほとんど掌握していた。

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