エジプト「叫ぶ女性ミイラ」の謎解明...最新技術が明かす意外な死の真相
死因や健康状態について分かったこと
考古学者らはセネンムトの墓の下に、彼の母や親族のために造られた別の埋葬室を発見した。これらの埋葬者に交じって、黒いかつらをかぶり、古代エジプトで再生の象徴だったスカラベ(コガネムシ)の形をした指輪を2つはめた「叫ぶ女」が木製のひつぎに納められていた。 発見後、女性のミイラはカイロ大学カスル・アル・アイニ医学部に移された。ここでは1920~30年代に、ツタンカーメンを含む多くの王族のミイラが研究されている。98年にはエジプト観光・考古省の要請により、カイロのエジプト博物館に移された。 悲鳴とともに死んだ? サリームはこのミイラのスキャン画像から、生存時の身長は154センチ程度で、骨盤の形から48歳前後で死亡したと推定している。 確実な死因は判明しなかったが、健康状態について分かったことがある。例えば背骨の椎骨(ついこつ)に骨棘(こっきょく)が見られるため、軽い関節炎を患っていた可能性がある。発見時に歯が数本なかったが、「生前に抜歯された可能性がある」と、サリームは言う。初歩的な歯科治療は古代エジプトで生まれたと考えられているという。 一方、かつらを調べたところ、ナツメヤシの繊維で作られ、曹長石、磁鉄鉱、石英の結晶で処理されていることが分かった。さらに皮膚の化学分析から、芳香性の樹脂である乳香とジュニパーの精油を使って防腐処理されていたことも判明した。どれも当時は、東アフリカや東地中海、南アラビアなどからの高価な輸入品だったはずだ。 さらにジュニパーは赤みを帯びた植物の染料ヘナと共に、彼女の髪を染めるために使われていたことも判明した。これらの発見は古代エジプトで防腐剤がどのように取引されていたかを示すさらなる証拠になると、サリームは考えている。 「ハトシェプストが率いた遠征隊は、プント国から乳香を運んでいた」と、彼女は言う。プント国とは古代エジプトの貿易記録でしか知られていない旧王国で(現在のエリトリア、エチオピア、ソマリアなどに位置していた可能性がある)、芳香樹脂や黒檀(こくたん)、象牙、金などを輸出していた。 しかし高価な輸入防腐剤が使われていたことが示唆するように、もし苦悶の表情がずさんなミイラ化作業の結果ではないとしたら、何が彼女の表情を静かな悲鳴の中に凍り付かせたのか。
悲鳴をあげているような表情の原因
「叫んでいるような表情は、死体のけいれんで起きたとも考えられる。女性が痛みや苦しみで悲鳴を上げながら死んだことを示唆している」と、サリームは考えている。 死体けいれんとは死後の筋肉硬化のまれな形態で、極度の肉体的・精神的ストレスに関連するといわれる。死後硬直はそこに至るのに何時間もかかり、症状は一時的だが、死体けいれんは瞬時に起こり簡単には収まらない。女性の遺体を防腐処理した人物が、彼女の口を閉じられなかったのはこのためかもしれない。 死亡後にミイラとなり、現代に神秘的な謎を投げかける「叫ぶ女」は「本物のタイムカプセル」だと、サリームは考えている。
イアン・ランドル(本誌科学担当)