《世田谷一家殺害事件》DNA捜査に希望も、立ちはだかる「加害者の個人情報保護」の壁
1時間にわたって開かれた講演の最後、演壇から署員に向かって投げかけられた言葉が、警視庁成城署の講堂内に響いた。 【写真】部屋に飾られた「家族写真」なぜ殺されなければならなかったのか 「みなさん、お疲れでしょうけど、警察の名誉のため、ひいては日本の警察の名誉のために、頑張って犯人を捕まえ、そして罰してください。4人に成り変わってお願いいたします」 2006年秋、遺族の宮沢良行さん(享年84)がそう語りかけたときのことを、捜査本部が置かれた元成城署署長の土田猛さん(73)は今も鮮明に覚えている。
遺族から託された「思い」を背負って
土田さんは現在、殺人事件被害者遺族の会「宙の会(そらのかい)」(事務局・東京都千代田区)の特別参与として、良行さんの息子一家が殺害された「世田谷一家殺害事件」をはじめ、未解決事件の遺族たちを支援する活動に取り組んでいる。 土田さんが、当時の心境を振り返った。 「4人に成り変わって私はお願いされました。私が現役を退くから、後輩に引き継ぎましたというわけにはいかない。良行さんのあの言葉は、私の使命感につながりました」 良行さんのひとり息子、みきおさん(当時、44歳)、妻の泰子さん(同41歳)、にいなちゃん(同8歳)、礼君(同6歳)の一家4人は、2000年12月30日深夜から翌未明に掛け、東京都世田谷区上祖師谷の自宅で何者かに殺害された。最初に礼君が絞殺され、続いてみきおさんら3人は柳刃包丁などで刺殺された。 この事件は犯人の指紋や遺留品などが多数現場に残されていたとして、その異質さに注目が集まった。捜査本部はこれまでに捜査員のべ28万人を投入したが、発生から20年を迎えた現在も犯人は見つかっておらず、警視庁は有力情報提供者に懸賞金上限2000万円をかけている。
4人が生きたという「証」
良行さんの講演の半年後、土田さんは定年退官したが、託された思いを胸に、今度は民間人の立場で何かできないかと考えた。 「もう捜査はできないけど、チラシ配りなどで情報を集めることはできる。事件の捜査をして当時で7年、あと8年が経過したら15年で公訴時効が成立し、日本の警察の信用失墜につながる。人をあやめておいて、時効が成立することに対する理不尽さを感じていたので、民間人の立場なら法改正に向けて動けると感じました」 時効制度に対し、同じように理不尽さを感じている遺族はいるはずだと考え、マスコミ各社の警察担当記者を通じて、殺人事件の被害者遺族に声を掛けてもらった。すると、世田谷一家殺害事件をはじめ、「柴又・上智大生殺人放火事件」(1996年発生)、「八王子スーパーナンペイ事件」(1995年発生)など16事件の遺族が集まり、2009年、良行さんを初代会長とする「宙の会」が結成された。時効制度の廃止に向けた活動は1年で奏功し、2010年の法改正で実現した。 良行さんはこの2年後に他界したが、「宙の会」は活動を続け、現在は、殺人事件の被害者遺族への賠償を国がいったん立て替えたうえで、加害者に請求する「代執行制度」の導入を求めている。土田さんが語る。 「事件によって時効が撤廃されました。これは秩序維持という観点で大きな成果。何より、4人が生きたという『証(あかし)』になります」