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「キレイに言うなら憲剛のおかげ」“ミスターフロンターレ”伊藤宏樹氏が振り返る飛躍の2006年シーズン

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SOCCER DIGEST Web

「後ろから見るのが好きでした」中村からジュニーニョのホットライン

――中村選手は長年一緒にプレーをし、今もなお川崎の顔として活躍しています。加入当初の印象は? 「本当にひょろひょろで、これでプロになれるのかというような体格でしたね。ただ向上心の塊というか、誰からも吸収しようというのが目に見えるくらい貪欲な選手でした。入団した2003年、2004年と2年ぐらいで一気に主力の座になりましたから、そういう姿を後ろから見ていて、毎試合成長していくような感覚でしたね」 ――2006年はリーグ1位の84得点。中村選手からジュニーニョ選手へのホットラインが利いていました。 「ジュニーニョが本当にすごかった。2006年ぐらいが彼のピークで、何でもひとりでやっている部分がありました。憲剛も常々言ってますけど、ジュニーニョに合わせるために憲剛も成長した。彼の必殺スルーパスにジュニーニョは裏へ抜け出すことを常に狙っていましたね。僕の中の憲剛のイメージは、ジュニーニョに対するスルーパスっていうのが代名詞だった。あれを後ろから見るのが好きでしたね。このタイミングだったら通るっていう感覚があるんですよ」 ――最終節のセレッソ大阪戦は、ACL(アジア・チャンピオンズリーグ)の出場権が得られる2位になる可能性がある重要な一戦でした。試合前のチームの雰囲気は? 「当時はガンバ、浦和、鹿島、マリノスと強いチームがだいたい決まっていた中で、僕たちは完全な新興勢力で、怖いもの知らずで、チャレンジャーという意識が強かった。とくにそこまで優勝するっていう意味で臨んだシーズンではなかったし、『ACLってなに?』というような。最後はそれを掴んで喜んではいたけど、ACLの大変さももちろん考えてなかった。目の前の一試合一試合に勝って、最後に2位になれたという感じで、あまり実感もなかった。『ACL行けるんだ、やったー』という気持ちは、後からついてきたという印象だったかな」 ――飛騨(暁)選手が鮮烈なボレーシュートで先制した試合です。このシーンは覚えていますか? 「覚えていますね。飛弾選手は普段はあまり試合に絡んでなかったんですが、右サイドで出ていたんですよね。憲剛と同期で入ってきて、彼は高卒だったのに、憲剛より評価されていたんですよ。ただ、なかなか出場機会に恵まれなかった。思いきりの良いミドルシュートが彼の特徴だったので、そういった持ち味をみんなで生かそうと臨んだ試合だったと思う。同じくこの試合にスタメンで出ていた黒津勝とか、出番の少なかった選手に周りが気を使える、チームとして良い雰囲気はありました」

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