岐阜を発展させた「忠節用水」 長良川にまつわる暗渠道から歴史を紐解く旅
ミキの昴生と亜生がMCを務める、全国の道に特化したバラエティ番組『道との遭遇』。今回は岐阜県にある、川が流れていた場所の上にできた"暗渠道(あんきょみち)"を巡りながら街の歴史を紐解きました。(この記事では道情報だけをまとめてご紹介します) 【動画】織田信長が戦死者の子孫を集めて養育した村が由来!岐阜を発展させた「忠節用水」は【1分54秒~】
長良川から引き入れた人工の「忠節用水」
岐阜県郡上市~伊勢湾に注ぐ、延長166kmの一級河川「長良川」。岐阜を代表する日本屈指の清流であり、伝統的な鵜飼漁(うかいりょう)が行われることでも有名です。道マニアは、この「長良川」から市内に引き入れた用水が、かつては街の暮らしを支え、その後ひっそりと暗渠になったと言います。 金華山トンネルの近くには、「長良川」の水を引き込む取水口「第一樋門」や「第二樋門」があります。 江戸時代から農業用水として岐阜の各所に張り巡らされていた「忠節用水(ちゅうせつようすい)」があり、長良川の水は重宝されていました。 織田信長が戦死した者の子孫を集め、養育した村「忠節村(ちゅうせつむら)」が由来で、村の近くには用水の取水口があったと言われています。 また、岐阜市の旧名「井ノ口」(いのくち)は用水の取り入れ口を指し、「長良川」から取水する樋門から命名されたという一説があります。 「忠節用水」は現在では大部分が暗渠になっており、街中には橋の欄干が点在。かつて川が流れていた痕跡が、今も残っています。 長良橋通りが交わる「泉町交差点」では、昭和43年まで存在していた「平田橋」の碑「平田橋跡」も見られます。 交差点を南北に走る「長良橋通り」に、かつて路面電車が走っていたそうで、明治に開業した「名鉄岐阜市内線」が平田橋を渡るルートで運行。しかし2005年、他の交通の障害になり全線が廃止されたとのこと。 「忠節用水」は網の目のように分岐しながら市内に広がっており、交通量の増加や市街化に伴い、昭和40年頃に水路は暗渠化。「長良川」から引き入れた綺麗な用水は人々に愛され、南西に位置する柳ヶ瀬(やながせ)まで続いています。
暗渠化されても水が見られる「アクアージュ柳ヶ瀬」
かつて中部地方有数の繁華街で、現在はレトロな雰囲気のアーケード街が広がる柳ヶ瀬には、イタリアをイメージした憩いの場「アクアージュ柳ヶ瀬」があります。 大通りから脇に入ると、まるで路地裏のような雰囲気の通路が奥へと続き、石畳の道を進むと一部だけ水路を見ることができます。 かつては沼地や田畑が多く、今でも地下のほとんどに水路が流れるという柳ヶ瀬。明治30年あたりから街は徐々に発展し、「長良川」から運ばれる水は農業用水から生活用水へと転用されました。歴史とともに暗渠へと姿を変えた用水路は、今でも人々を支え続けています。 10月1日(火)午後11時56分放送 CBCテレビ「道との遭遇」より
CBCテレビ