阿川佐和子「墓参り初心者」
阿川佐和子さんが『婦人公論』で好評連載中のエッセイ「見上げれば三日月」。この数年で夫婦双方の親を見送った阿川さん。秋のある日、それぞれの親が眠るお墓にお参りにいくことになりましたがー * * * * * * * 彼岸が過ぎ、シルバーウィークの喧騒が収まった頃、私はようやく親の眠る墓へお参りに行った。恥ずかしながら実にもって「ようやく」である。 父が亡くなったのが五年前の夏。その翌年に夫の母が他界して、去年には夫の父が息を引き取り、そして今年の春、新型コロナの渦中に私の母が亡くなった。ここ数年で夫婦双方の親がバタバタといなくなったことになる。もちろん、葬式、四十九日、一周忌、三回忌などの仏事のたびに墓所へ赴いて、墓の前で手を合わせてはきたけれど、そういう「特別日」以外の墓参りをついぞしたことがない。無礼極まりない子孫なのである。 それもこれも、親の教育が悪かった。父は私が幼い頃からことあるごとに叫んでいた。 「俺は無信心論者だ。覚えておけ」 そういう父のおかげで私はお盆の意味も葬儀に関する常識もことごとく無知のまま育った。初七日、月命日、初盆などという言葉を知ったのは大人になってからのことである。まして父母とともに先祖の墓参りをした記憶はほとんどない。かろうじて父の故郷である広島の伯父伯母の家に遊びに行った折など、「せっかく来たのだからお墓参りに行きましょう」と伯母に誘われ連れていかれたが、心の中では「面倒くさいなあ」と思う不届きな娘であった。
私の両親の墓は鎌倉で、夫の両親の墓が横浜にあったので、「同じような方向だから車でぐるりと回ってこよう」と夫と相談し、日を選んで梯子酒ならぬ、梯子墓参りと相成った。 さて、墓参りに何が要るか。なんといってもお花と線香であろう。線香はここ数年、お香典にいただいたストックがある。花屋は夫の両親の霊園の近くにあったと記憶する。 「そこで鎌倉の分も買えばいいよね」 こうして、「お昼はどうする?」「おにぎり作って車の中で食べよう」「水筒に麦茶入れました」「マスク持った?」「あ、お数珠忘れた」「蚊がいると思うから殺虫剤とキンカンも持っていこう」などと、少々趣は異なるものの、まるで遠足へ出かける朝のような騒ぎの末に家を出る。 さて一ヶ所目。夫の両親の霊園に到着する。さっそく花屋を覗くと、お彼岸の季節だけあって用意は万全。青紫色のリンドウ、赤いカーネーション、黄色い菊、白菊、緑の葉っぱの組み合わせの小さな花束がセロファンに包まれてバケツにたくさん浸けられている。が、それ以外に種類はない。つまり、「お花、いただけますか?」と花屋さんに声をかけると、自動的に花束二つ、左右一対分を差し出され、 「一六〇〇円になります」 え、そうなの……? まず、けっこう高いことに驚いた。加えて花の組み合わせを自分で選択できないことにかすかな衝撃を受ける。 夫の両親の趣味はわからないけれど、今年の五月に亡くなった母は花がこよなく好きだった。その母の初めての墓参りである。母の好みそうな花を墓に飾ろうと企んでいた。しかし、この場で花を購入しないと他の花屋を探さなければならなくなる。たしか私の両親の墓の近くに車を停めて寄ることのできそうな花屋はなかったはずだ。 「もう一対分、つまり花束四つ、ください」と言いかけた夫を制し、 「いえ、一対分だけでいいです」 私は急いで財布から一六〇〇円を出し、花束を二つ受け取って花屋をあとにした。 思いついたのである。購入した花束を分解し、リンドウと白菊を二輪ずつ抜き取る。残るはリンドウ一輪と赤いカーネーションと黄色い小菊と葉っぱの花束となった。色合いが少し落ち着いた。その花束を夫の家の墓の花器に挿す。桶に満たした水を注ぎ、箒と雑巾で墓の掃除をし、線香に火をつけて線香台に供える。