「お金を使わない私」が「お金を稼ぐ」ことの意味
疫病、災害、老後……。これほど便利で豊かな時代なのに、なぜだか未来は不安でいっぱい。そんな中、50歳で早期退職し、コロナ禍で講演収入がほぼゼロとなっても、楽しく我慢なしの「買わない生活」をしているという稲垣えみ子氏。不安の時代の最強のライフスタイルを実践する筆者の徒然日記、連載第63回をお届けします。今回が最終回となります。 ■「買わない生活」でそもそも「稼ぐ」必要があるのか? 「買わない生活」で、友達も、健康も、自由な時間も、さらにはまさかの「お金」までも、つまりは人生に必要なすべてを手に入れることに成功したまことに愉快な顛末について、これまで延々と書き綴ってきた。今の時点で書けることはほぼ書き尽くしたと言っていいと思う。
なので今回がいよいよ最終回である。 最後のテーマは、今の私が抱える最大の難問「お金を稼ぐこと」について。 いやーお金を稼ぐことって、マジで難しいっす! あ、いや……これはちょっと誤解を招く表現だったかもしれない。だって一般的には、お金を稼ぐのが難しいっていうと、お金を「うまいこと」「たくさん」稼ぐのって難しいよねって話だと思われますよね当然。 でも私が言いたいのはそういうことではない。 何しろ私はお金を使わずとも幸せなのである。いやむしろお金を使わないことが幸せへの近道と思っているのであるということはこれまでさんざんっぱら書いてきた通りである。
となると当然、どう「うまいこと」稼ぐかどころの騒ぎではなく、そもそもお金を稼ぐ必要があるのかってことになってしまう。そこが実に全くもってフクザツなのだ。だって前にも書いたように、使うあてのないお金をせっせと稼いで貯め込んだところで。自分にとっても世の中にとっても何の意味もないのだから。 じゃあ、別に働かなくていいじゃん! ……というのが1つの考え方だろう。無論、そういう人生もアリだとは思う。聞くところによれば、近頃のワカモノの間では早い時期にお金を貯めて、あとは運用益で自由に生きるという「アーリーリタイア」が1つの理想として注目されているらしい。