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よっちゃん|カニカマ人生論

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清水ミチコ 小学三年生の時のこと。隣の町内に住んでいる、よっちゃんという女の子と、たまたま同じクラスになりました。私は花里町五丁目で、よっちゃんは六丁目。彼女はクラスで一番というより、学校では特殊な部類に入るような美少女でした。しかも成績は抜群で、運動神経もよく、何より性格が明るく、まさにまぶしい存在。「クラス委員は誰にしますか?」と先生に聞かれると、誰かが必ずよっちゃんの名前をあげ、推薦したりして、人望まであった彼女はお笑いも大好き。気がつけば私たちはだんだん仲良くなっていました。  パッとしない私と、なんでこんなにつきあってくれるのかな、と思いながらも毎日二人で学校へ行き、並んで帰りました。マンガが好きで、「りぼん」や「なかよし」に限らず、「少年ジャンプ」「少年サンデー」「少年マガジン」など、雑誌の性別も超え、お好み焼き屋に行ってはよく読み漁ってました。二人とも「つる姫じゃ~!」を連載してた土田よし子先生の大ファンで、彼女のおしゃべりが入った、ふろくのソノシートには大興奮。土田先生の話し方が、ソノシートとはいえレコーディングであるはずなのに、ややガサツというか、若干ぶっきらぼうな感じで、(照れ屋なのかもしれないな)、と自分に似たところを見つけ、ますますシンパシーを感じたりしたものです。 よっちゃんとはマンガだけでなく、テレビドラマや、歌番組で観たアイドルの話もよくしました。褒めるだけでなく、皮肉な言い方をしたりして、ツッコミながら楽しむというのもまた、幸せな時間でした。勉強や宿題さえなければ、最強の日々。私の隣にいてくれるまぶしい存在は、自分の自信にさえなりました。日曜日や連休、夏休みにお正月と、休みがあればしょっちゅう二人で会い、笑ってばかりいました。「おまえら、どんだけ仲いいんや!」と、お互いの親にも呆れられたほどです。 (いっそ自分がよっちゃんだったらいいのにな~)ともしょっちゅう思っていました。太陽のような人とつきあうほど、(それに比べて自分は……)などと、グズグズと現実の自分へのコンプレックスが頭をもたげそうなもんですが、さすがは子供、ただ太陽が大好き。 そういえばSMAPが解散するかも、という時、松任谷由実さんがラジオでこうおっしゃっていました。「脚光を浴びた人間は、闇もそのぶん引き受けなくてはならないという運命があるんですよ。」(←ここ、ソックリな声で読んでください)。さすがなコメント。今思えば、私はよっちゃんに、うっすら感じでいた自分自身の闇を引き受けてもらってたのかもしれません。あのよっちゃんが身体をよじって笑っている、という光。クラスでよっちゃんを笑わせてみたい、と思ってる人は多いけど、爆笑させたのは今日も「私だ!」という気分にひたり、しょっちゅう、(明日はこんな事を言おう)とか、(しかもこんな言い方をしてみようかな。フフフ)などと、空想する事も好きでした。人生というものはいつも、妙なところで平等にできてるもんですね ところがです。よっちゃんは、だんだん笑いにちょっと厳しくなってきました。明らかにまあまあのセンでは笑わなくなってきてて、本当に面白いと思った時でないと笑わない。 いつか、こんなことがありました。ある夏の日。二人で空き地に行き、バレーボールのトスやパス、レシーブの練習をしてた時、(そうや! 名古屋の水族館でいつか見た、あのオットセイみたいな変な鳴き声を出しながらボールをレシーブしたらどうか? きっとウケる! 間違いない!)と、私は思いついたのです。そこで「オットセイレシーブ、オウッ! オウッ!」、という鳴き声とともに、ボールをひょうきんに受けてみました。ところが、期待とは違って、1ミリたりとも笑ってないよっちゃん。(アレ? 聞こえてなかったのかな)と思った私は、もっとオーバーになりきってみることにチャレンジ。額には汗を感じるほど一生懸命、今思えば生涯、最初で最後の立派なオットセイを演じたのですが、結果はザ・シーンでした。 当時こそ、まだそんな言葉はありませんでしたが、これが「スベってる」、という状態。初スベリ。思い返してみると、よっちゃんがよく笑っている時は、私が何気なしにしゃべってる時。それなのに、懸命に加工してもっともっとと頑張ってしまった。私は(自分が汗をかくほど必死に頑張りすぎると、笑いは消えていくんだな)と、この時ハッキリと悟り、この基本ルールは盤石となりました。 こういう職業についてからも、ライブなどで同じように感じることがあります。ウケたい思いがあんまり前のめりだと、それが邪気になるのか、一番大事なネタのうま味が消えてしまう。お寿司屋さんでたまに見かける、キュウリの凝りすぎた切り方のように、食欲がなくなるのです。ほどほどに力は抜いておかないと。私はスベりながらも、そんなことを学びました。   【シミチコMEMO】 名古屋の東山動物園にて。右側がよっちゃん。タレントは左側の人物です。 ■清水ミチコ 岐阜県高山市出身。1986年渋谷ジァンジァンにて初ライブ。1987年『笑っていいとも!』レギュラーとして全国区デビュー、同年12月発売『幸せの骨頂』でCDデビュー。以後、独特のモノマネと上質な音楽パロディで注目され、テレビ、ラジオ、映画、エッセイ、CD制作等、幅広い分野で活躍中。著書に『主婦と演芸』『「芸」と「能」』(共に幻冬舎)、『顔マネ辞典』(宝島社)、CDに『趣味の演芸』(ソニーミュージック)、DVDに『私という他人』(ソニーミュージック)などがある。

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