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身長168センチの“小さな大打者”が秘めていた強靭な武器とは/プロ野球20世紀・不屈の物語【1971~89年】

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週刊ベースボールONLINE

歴史は勝者のものだという。それはプロ野球も同様かもしれない。ただ我々は、そこに敗者がいて、その敗者たちの姿もまた、雄々しかったことを知っている。

スカウトから逃げ回って

「人は外見ではない」と言われるが、21世紀に生まれた若い読者も、そのほとんどの場合が建前であることを知っているだろう。人は外見で判断するし、判断される。外見……体が小さいことは、プロ野球選手にとってデメリットになることのほうが多いだろう。実際には小兵でも活躍した選手は少なくないのだが、それ以上に大きな体で結果を残した選手は多く、たとえ実力を秘めていたとしても、体が小さいというだけでチャンスすら与えられなかったプロ野球選手、あるいはプロへの道さえ開かなかった野球選手も星の数ほどいるはずだ。  ヤクルトで“ミスター・スワローズ”と呼ばれた若松勉も、そうなりかけた1人だった。ドラフト3位で1971年に入団した若松は、89年まで19年の長きにわたってプレー。初めて規定打席に到達した2年目の72年に首位打者、77年にも2度目の首位打者。打率3割を超えないことが珍しく、最終的に通算2173安打を残したヒットメーカーだ。通算打率.319は、通算成績の“規定打数”といえる4000打数を超えた選手の中では現時点では歴代3位だが、20世紀に入って後輩の青木宣親が1位に躍り出るまでは日本人の選手としては2位であり、長く1位だったロッテのリーとは1000打数ほど多い。もし若松がプロになることを断念していたら、プロ野球の歴史が変わっていたのは間違いなさそうだ。  ただ、若松の場合は「外見で判断」されて道が閉ざされそうになったわけではない。プロの道への分岐点で、自らスカウトから逃げ回っていた。身長は公称で168センチ、実際には166センチだったというから、平均身長が近年よりも低かった当時であっても、プロ野球選手になるには、かなり小さい。加えて若松には、少なくとも自身には、ほかにもプロになるハードルと思えたものがあった。  北海道の出身。プロに注目されたのは社会人の電電北海道でプレーしていたときだった。まだ当時は北海道の出身でプロとして成功した選手が少なかったことは、若松にプロへ進むことをためらわせる。さらに、すでに結婚しており、家族もいる中で自らの腕1本に勝負をかけることは、高校からプロへ進む以上の冒険だった。  そんな若松の下へ足を運んだのが、ヘッドコーチに就任したばかりの中西太。若松は会わなかったが、人づてに中西が「プロのバッティングは体の大きさではありません。下半身でするもの。僕だって上背はたいしたことない(174センチ)。それでもプロでメシを食うことができた。それはプロで努力したからです」と言っていたことを聞いた。中西は西鉄(現在の西武)黄金時代の主砲。若松の中で何かが弾けたのは想像に難くない。若松の小さな体には、誰にも負けない強靭な武器が秘められていたのだ。

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