弁当をぶちまけられ「調子こいてんじゃねーよ!!」 井上真央の“怒り”はなぜ日本中の女子を動かしたのか
「怒り」の演技に秘められた引き裂かれるような繊細さ
井上真央が出演した2018年の映画『焼肉ドラゴン』もそうだった。多くの演劇賞を受けた戯曲を演出家の鄭義信が自ら監督した映画は、南北の政治に引き裂かれ、そして日本社会からも疎外される在日コリアンの一家、どこにも所属できない人々を描く。その一家の次女である金梨花を演じた井上真央が一家のだらしない男たちに怒りを爆発させる場面は、まるで寒い夜を温める炎のように生命の熱を持ってスクリーンに輝いていた。 主人公・松浦いとを演じる井上真央は、映画の途中まで怒りを見せない。表層的ではない、大きな深い怒りを映画の中に作るためには、複雑な社会の中で経験する悲しみや不安、矛盾や迷いを物語の中に包摂しなくてはならないからだ。『花より男子』でスターダムに駆け上がったあと、日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞した『八日目の蝉』など多くの作品でキャリアを重ねてきた井上真央の演技は、この映画の中で揺れ動く主人公の感情を繊細に表現していく。 身につけた多彩な変化球が決め球のストレートを一層速く見せるように、クライマックスで主人公が早朝の村に呼びかける「かかども、出んか」という蜂起の怒声は、複雑な事情を抱えた漁村の女たちを乗せる大きな船のように力強い。井上真央の演じる怒りは、悲しみや迷い、優しさを吸い込んで、10代の少女の怒りよりもタフな怒りに成長している。
「4年で卒業するために単位をうまく取りすぎた」井上真央の後悔
映画『大コメ騒動』の公開日2021年1月8日の前日には、政府による2度目の緊急事態宣言が出された。前回のように映画館は完全閉鎖にはならなかったものの、観客動員へのダメージは言うまでもない。だが、映画館で見るにせよ、配信や放送、DVDで見るにせよ、この映画はテーマの今日性や脚本の繊細さとともに、改めて井上真央という役者の実力を見せつける作品になっていた。 10代の頃、井上真央が芸能活動を休止して大学受験に挑んだのは、共演した檀ふみから「学問は芝居の邪魔にならない」とアドバイスされたことがきっかけだったという。卒論のテーマに杉村春子、安保闘争にも参加した伝説的女優を選んだ井上真央は、「4年で卒業するために単位をうまく取りすぎた、もっと長く大学にいて学問に触れればよかった」と語る。 1987年生まれの井上真央の世代のすぐ下、『花より男子』が放送された2005年前後に高校生だった彼女のファンたちは、大学に行けば卒業時にリーマンショックによる就職不況が直撃した世代になる。そして今、彼女たちの世代の上にはコロナ禍が襲いかかっている。非正規ならば雇い止め、自営業なら言わずもがなの経済状況の中、30代以下の女性の自殺は前年より74%も増えたと報じられる。 YouTubeには、放送から15年経った今も『花より男子』の名シーンが切り出されてアップされている。第1話のラストシーン、井上真央が演じる牧野つくしが学生靴でボクシングのステップを踏み始め、道明寺を殴り倒して宣戦布告する場面は何十万回も再生され、コメント欄には同窓会のようにファンたちのコメントが並ぶ。この世で一番ハンサムな男の子をつくしが殴り倒して「私は逃げない」と啖呵を切った時、テレビの前で拳を握りしめた女の子の数は100万人ではきかなかっただろう。