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選手、コーチ、フロントのすべてで成功を収めた唯一人の男、“レジェンド”バードの矜持【NBAレジェンド列伝・後編】

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THE DIGEST

「あの年はすべてがうまくいった」と本人が振り返った84年のファイナルでは、マジック率いるレイカーズを倒した。室温36度の猛暑のなか行なわれた第5戦では、20本中15本のフィールドゴールを決めて34得点を叩き出す大活躍。シリーズ通算平均27.4点、14.0リバウンドをマークし、大学時代の借りを返した。この後85、87年もセルティックスはレイカーズとファイナルで対戦したがいずれも敗れ、直接対決はバードの1勝2敗に終わった。 ■唯一無二の存在だった史上最強のフォワード  通算2万1791得点は史上34位。リバウンド54位(8974)、アシスト42位(5695)、スティール37位(1556)と4部門で60位以内に入っている(2019-20シーズン中断時点)。その一方で30位以内がひとつもないのは、彼の選手生活後半が故障との戦いに明け暮れたためだ。30代以降は体調が完全だった年は皆無に近く、88―89シーズンは両足のかかとの骨棘除去手術を受け、出場は6試合だけ。翌年は復活して75試合に出場したものの、90―91シーズンからは腰の痛みに悩まされ始めた。この頃には試合中にコートの横で寝そべり、身体を休めている姿が頻繁に見かけられた。  結局腰痛は完治に至らず、91―92シーズンを最後に引退を決意した。終生のライバル、マジックがHIVウイルスへの感染で引退した翌年のことで、引退セレモニーにはマジックも出席した。この年のバルセロナ五輪にも2人揃って出場。ドリームチームの一員として手にした金メダルが最後の勲章となった。  その後、97年に故郷インディアナを本拠地とするペイサーズのヘッドコーチとして現場に復帰。現役時代と変わらぬ勝利への貪欲さ、常に的確な判断を下す冷静さで、コーチ経験がまったくなかったにもかかわらず最優秀HC賞に選ばれ、元MVP選手で同賞を受賞した唯一の例になった。2000年には球団史上初のカンファレンス制覇&ファイナル進出を果たしている。マジックやトーマスが成しえなかった指導者としての成功を易々と収めたあたりに、バードの非凡さが表われていた。  3年でコーチ業を切り上げて球団社長に転じ、12年に今度は最優秀エグゼクティブ賞も受賞した。現在はアドバイザーとしてペイサーズに関わり、19年にマジックとともに史上3・4人目となる生涯功労賞を授与された。  彼よりも素質に優れていた選手は何百人もいた。しかし、彼ほどの意志の強さや勤勉さを持ち合わせている人間はほとんどいない。ラリー・バードになれる可能性は誰もが秘めているけれども、ラリー・バードになれる者は誰もいないのだ。 文●出野哲也 ※『ダンクシュート』2007年12月号掲載原稿に加筆・修正。

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