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『ダウン・バイ・ロー』モノクロで綴る、トム・ウェイツ、ジョン・ルーリー、ロベルト・ベニーニの”親しき関係”

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CINEMORE

有楽町・スバル座でのジャームッシュ人気

 2019年10月、有楽町の映画館、スバル座は惜しまれながら閉館を迎えた。前身となった丸の内スバル座は1946年に誕生し、日本で初のロードショー館となったが、その後、火事で焼失。1966年から有楽町・スバル座として再スタート(最初は日活の封切館で、67年より洋画封切館となる)。前身から数えると73年、第二期からカウントしても53年という長い歴史を誇る劇場だった。  キャパシティは300席ほどでけっして大きな劇場ではなかったが、それゆえ、他の劇場では興行がむずかしそうな作品も数多く上映されてきた(ちなみの劇場の歴代動員ランキング1位は『イージー・ライダー』(69))。  特に80年代半ばまではミニシアター的な役割を果たしていて、『ブリキの太鼓』(79)や『1900年』(76)など、フランス映画社が配給した数々の斬新な作品が上映されてきた。  そんな中でも、ちょっと特異な立ち位置を示しているのが、ジム・ジャームッシュ監督が撮った2本の作品、『ストレンジャー・ザン・パラダイス』(84)と『ダウン・バイ・ロー』(86)である。  ミニシアター映画の代名詞のように語られることもある2本だが、実は歴史あるこの小さなロードショー館で上映されていたのだ。  スバル座の長い歴史を振り返ると、1986年はまさにジム・ジャームッシュの年だった。4月に『ストレンジャー・ザン・パラダイス』が上映され、3か月半(14週間)の上映となり、当時の若い観客たちをひきつけた。そして、11月には『ダウン・バイ・ロー』が上映され、こちらは4か月半(18週間)のロングラン。つまり、12か月の間に8か月も2本のジャームッシュ作品がかけられたことになる。  これは今、振り返っても、ちょっとすごいことではないだろうか? ちなみに『ダウン・バイ・ロー』の方は、閉館前に発表されたスバル座の歴代興行収入ベストテン内にも入っている(10位)。  スバル座を経営していたスバル興業が作ったムック、『スバル座のあゆみ・40年小史』(87年刊行)の中でも、特筆すべき現象のひとつとして取り上げられている。その一文を引用すると――「『ストレンジャー・ザン・パラダイス』と『ダウン・バイ・ロー』は言葉になる前の不思議な緊張とおかしみを画面にとらえ、若い人たちの共感の笑いをひきだした。(中略)それらは歴史としてかたるには、まだ余りにも生々しいごく最近のことに属しています」  ジャームッシュの初期の2本は、特別な個性を持った映画として、この劇場に迎え入れられたのだ。

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