ヤクルト愛か、優勝か。歴史を作った最強助っ人・バレンティンの不本意な最後
「本日は日本のファンの皆さんに、日本球界からは引退することを伝えたいと思います」 東京ヤクルトスワローズと福岡ソフトバンクホークスで計11年間プレーし、NPBの歴代外国人選手では4位の通算301本塁打を放ったウラディミール・バレンティン(37歳)が自身のツイッターでそう呟いたのは、日本時間で1月23日の早朝のことだった。 その数十分前、筆者は久しぶりに彼とメッセージのやり取りをしていた。近況を尋ねるとともに今シーズン、日本球界でプレーする可能性を問うと、返ってきた答えがまさに「日本球界からは引退する」というものであった。 誰かに伝えてしまったから公にしようと決めたのか、あるいはたまたま筆者が連絡を取ったのがその意思を固めたタイミングだったのか、それは分からない。いずれにしても、ツイッターで公表したことで「バレンティン、日本球界復帰を断念」はたちどころにいろいろな媒体で報じられるところとなった。 彼が9年間プレーしたヤクルトは、これまでにも数多くの“優良外国人”を獲得してきたことで知られている。まだ球団がサンケイアトムズだった1960年代後半はルー・ジャクソンとデーブ・ロバーツ、1978年の初優勝時はチャーリー・マニエルとデーブ・ヒルトン。1989年にはラリー・パリッシュが外国人では球団初の本塁打王となり、1990年代の野村克也監督時代にはジャック・ハウエルや、阪神タイガースから移籍のトーマス・オマリー、投手ではテリー・ブロスなどが優勝、日本一に貢献した。 若松勉監督の下で球団史上5度目の日本一に上りつめた2001年もロベルト・ペタジーニとアレックス・ラミレスの働きが光り、その後はケビン・ホッジス、セス・グライシンガー、林昌勇(イム・チャンヨン)、トニー・バーネットといった外国人投手の活躍が目につくようになった。 ただし、実績という点においては、その中でもバレンティンがナンバーワンと言っていい。メジャーリーグでの実績はほとんどなかったものの来日後に花開き、ヤクルトで積み上げた通算288本塁打は池山隆寛(現ヤクルト二軍監督)の304本塁打に次いで球団歴代2位、通算763打点は同4位。在籍9年はヤクルトの外国人では最長記録である。 本塁打王のタイトルは、来日1年目の2011年から3年連続で獲得。これはセ・リーグではほかに読売ジャイアンツの王貞治(13年連続、現ソフトバンク球団会長)しか成しえておらず、本塁打王3回もセでは王の15回、青田昇(巨人ほか)と山本浩二(広島)の4回に次ぐ3位タイとなっている。 だが、何といっても歴史に残るのが、2013年に樹立したシーズン60本塁打の日本記録だ。1964年に王が打ち立てて以来、2001年タフィ・ローズ(近鉄)、2002年アレックス・カブレラ(西武)と並ぶ者はあっても塗り替える者はなく、“アンタッチャブル”とすら言われたシーズン55本塁打を、およそ半世紀ぶりに更新したのだ。 この年は左足内転筋の肉離れで開幕から2週間ほど出遅れながらも、驚異的なペースでアーチを量産。小川淳司監督(当時、現GM)も「打てる範囲がほかのバッターと全然違う。高めだろうが低めだろうが、タイミングが合えば全部(スタンドまで)行っちゃいますからね」と舌を巻くほどだった。 本塁打だけではない。打率.330(リーグ2位)、打点131(同2位)、出塁率.455(同1位)、長打率.779(同1位=日本記録)と軒並みハイレベルな数字を残し、最下位球団の選手としては史上初のリーグMVPにも選ばれた。 その後も後述の2015年を除いて、コンスタントに活躍。2018年にはキャリアでも2番目の38本塁打を放ち、自身の持つ球団記録に並ぶ131打点で初の打点王を獲得した。しかし、来日9年目で8回目の30本超えとなる33本塁打をマークした2019年を最後に、ヤクルトを退団する。