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熱線で焼け、辺りはがれき…被爆の街で家族探した人々

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西日本新聞

祈りの油彩 未体験画家が描く戦争

 西日本新聞長崎総局は被爆地長崎で、戦争体験の有無にかかわらず、世代やジャンルを超え、平和の継承に取り組む人たちに目を向ける。戦争経験のない長崎市在住の画家が平和を祈り、長年にわたって戦争を題材に制作してきた作品を連載で初めて紹介する。戦争で払った犠牲の大きさ、懸命に生きた人たちに思いを寄せる。 【写真】キャンバスに向かう画家・ウエダ清人さん    ◇         ◇  長い教員生活では県内各地を転々としました。その中で偶然ですが、1980年代に長崎市の山里中、90年代は淵中、2009、10年は西浦上中と、爆心地・浦上地区周辺の学校での勤務が続きました。地域には家族や親戚を亡くした人が多く、子どもたちとの間でも「うちのおばあちゃんも被爆した」などという会話が、当たり前のように聞かれました。  これらの学校では平和学習が盛んです。爆心地から1・2キロの淵中では毎月、9日前後に平和集会が開かれています。私たちの時は被爆した語り部や先輩教員が自らの体験を語り、生徒は平和に向けた調べ物を発表し、あらためて戦争のない世を誓っていました。  私は子どもたちを連れてよく校外で絵を描きました。再建された浦上天主堂にも行きました。敷地内には破壊された当時の教会の一部が置かれ、被害の大きさがうかがえます。犠牲者を思い手を合わせました。  被爆の痕跡は教会だけではありません。爆心地の地表温度は3千~4千度に達したとも言われ、近くの川岸では壊れた家の瓦やレンガ、熱によって焼けた土、溶けた茶わん、ガラスなどが地層の中に重なったまま。被爆遺構としてガラス越しに見学できます。  周辺では、川まで水を求めてさまよい、息絶えた人もいるでしょう。数多くの遺体が川を覆ったという話も伝え聞きます。  今回の作品は、被爆してしばらくたった浦上の街を思い浮かべました。私の戦争に関する作品の多くは特に画題はありませんが、熱線で焼けた街は黒ずみ、絵の左側にかろうじて立つのは破壊された旧浦上天主堂です。辺りはがれきで、絵に散らばるオレンジ色は街を焼く炎を表しています。  全体を引いた視点でとらえ、絵の中に人々の姿は見えないですが、語り部たちは何もなくなった街で母や兄弟を探したそうです。つらかったでしょう。戦争を体験していない私は想像することしかできません。  絵の中心で空に昇っているような柱は、そんな中にあっても生きる人たちの希望を表現したものです。  以前、爆心地近くの地中から、遺骨も見つかったこともあります。かつて大勢の人が犠牲になった事実を忘れてはなりません。

ウエダ清人

 本名・上田清人(きよと)。1952年、新上五島町の有福島生まれ。中学教諭の傍ら創作にも励み、西日本美術展や上野の森美術館大賞展などで入賞。退職後も大地や長崎・天草の教会群をテーマに制作を続け、作品は数千点に上る。2017年、長崎市街地を見晴らす風頭山頂近くに「風の大地美術館」をオープン。自身や地元作家のほか、発表する場が少ない障害者や若者らの作品も無料で展示する。長崎原爆の日に合わせ、これまで40年近く地元の美術仲間たちと「ながさき8・9平和展」を開いており、応募があった一般作品の展示を通じて、平和を呼び掛ける活動もしている。 ※記事・写真は2020年01月07日時点のものです

西日本新聞社

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