センバツ甲子園 明豊準V 悔しさ糧に /大分
第93回選抜高校野球大会(毎日新聞社、日本高校野球連盟主催)決勝の1日、明豊は東海大相模(神奈川)と対戦し、2―3で敗れ、県勢にとって54年ぶりのセンバツ優勝を逃した。九回まで1点を争う好ゲームだったがあと一歩及ばず、サヨナラ負け。明豊らしい粘り強さで最後まで戦い抜き、「よく頑張った」「胸を張れ」「大分に明るい春をもたらした」などとアルプスから惜しみない拍手が送られた。【辻本知大、荻野公一、中島怜子】 汗ばむ陽気の中、グラウンドにナインが登場すると、三塁側スタンドの明豊応援団から万雷の拍手が起こった。この日の応援団はこれまで最大の1000人。生徒やOB、保護者、地元関係者が駆けつけた。野球部の応援団長、加藤柊汰さん(3年)は「昨日は緊張してちょっと寝られなかった。エース京本が『任せてくれ』と言っていたので、絶対やってくれる」。 明豊は一回から果敢に動いた。1死から阿南(同)が中前打で好機を作る。「オー!」とどよめくアルプス。続く竹下(2年)が右翼線に二塁打を放ち、阿南が積極果敢に本塁を狙うも相手の好返球に阻まれタッチアウト。得点を奪えなかったがチームを勢いづける攻めのプレーに拍手が起こった。 その後もチャンスは続く。2死三塁のチャンスに黒木(3年)が左前適時打を放ち、待望の先制点を奪う。父克寿さん(55)は「試合前に1打席目から集中して流し打ちを決めてくれとアドバイスした。その通りやってくれた」と笑顔を見せた。黒木は「親の言葉は自分にとって大きい。思い出したら打席で余裕ができた」と振り返った。 ところが喜びもつかの間、その裏に東海大相模に同点とされてしまった。再びチャンスが到来したのは四回、太田(3年)の左前打などで1死満塁の好機を作った。このチャンスで、好プレーでチームを盛り上げる阿南に打席が回り、犠飛を放ち1点を追加した。父智博さん(42)は「せっかくの満塁のチャンスだったが今のは最低限。でも貴重な1点です。頑張った」と謙遜しつつも喜んだ。 ところが相手も試合巧者。すかさず五回に同点に追い付く。2死満塁とピンチの場面があったが先発太田の粘り強いピッチングでピッチャーゴロに打ち取りしのいだ。 スタンドで応援する野球部の北風晴基さん(3年)は「お互い総合力で戦うチーム。見ていてハラハラする。後半はいつものように守備からリズムを作って、打撃につなげてほしい」と祈った。アルプスでも明豊チア部による懸命の応援が続き、キャプテンの木村玲香さん(同)は「チア部にとっても2年越しのセンバツ。絶対に勝ってほしい」と力を込めた。 明豊は六回途中から相手の主戦、石田(同)を引きずり出すもその後は得点を奪えなかった。九回裏、1死満塁で相手打者の打球が遊撃手、幸(同)のグラブをはじき、転がるうちに三塁走者が生還。明豊の敗北が決まった。 保護者会の和才竜也会長(40)は「悔しいですけど、よくやってくれた。これまで全員で勝ってきて、今日は全員で負けた。夏に向けて、これまで以上に子供たちを支えまくります」とねぎらった。 ◇留守組「思い届け」 運動部員、教職員ら100人応援 別府市野口原の明豊高では、部活動で登校した卓球やソフトテニスなどの運動部員、教職員ら約100人が体育館のスクリーンに映し出された映像を見て観戦した。スクールカラーの青と白のスティックバルーン2本を打ち鳴らしながら声援し、手に汗握る好ゲームに見入った。 コロナ禍のため、これまでの試合は校内での応援を自粛してきたが、初の決勝進出の事態に「一生に一度あるかないかの瞬間を共有したい」という生徒や教職員の声が広がり、急きょ前夜に応援体制を作った。 試合後、丸馬寿・副校長は「コロナ禍で気持ちが沈んだ県民や別府市民へ元気をくれた野球部の生徒たちを誇りに思う。胸を張って帰って来てほしい」と話した。【大島透】 ◇南こうせつさん「勇気もらった」 明豊の校歌を作曲したシンガー・ソングライターの南こうせつさんは所属事務所を通じ、コメントを発表した。 明豊の戦いぶりに「今大会屈指の強豪東海大相模に正々堂々と戦って1点差で敗れてしまいましたが、1回戦から勝ち上がっていく姿に感動しました。まさか決勝まで来るとは思っていませんでした。際立ったスター選手がいないのですが、チームワーク良く投打に活躍した結果だと思います」とたたえた。 自身が作曲した校歌について「甲子園で4回も流れて、このコロナ禍の閉塞(へいそく)感の中で自分自身も勇気をもらいました」と振り返った。さらに両校の選手に「決勝戦にふさわしい両チームがすべてを出しきって歴史に残る試合でした」とメッセージを送った。 ◇別府市民「ご苦労様」 準優勝した明豊ナインの健闘を別府市民もたたえた。 別府市の薬局に勤める薬剤師、糸山千絵さん(32)は「まさかここまで勝ち上がるとは思わなかった。チームワークが良くて、感動しました」と興奮した様子。市内で豚まん店を営む幸崎三枝子さん(74)は智弁学園戦を振り返り、「先頭打者ホームランがすごかった。本当に選手たちは頑張った。ご苦労様」とねぎらった。 別府市旅館ホテル組合連合会の冨来昌博事務局長(39)は「選手たちは胸を張って帰ってきてほしい」とたたえ、「コロナ禍で観光業界が打撃を受ける中、明るいニュース。白球を追う姿にコロナのことも忘れられ、別府を元気にしてくれた」と喜びを分かち合った。【石井尚】 ……………………………………………………………………………………………………… ■青春譜 ◇チーム支えた守備の要 幸修也主将=3年 九回裏、1死満塁のピンチ。相手打者の打球が飛び込んできたが、遊撃手として捕球できなかった。「自分の甘さが最後のプレーに出てしまった。京本を助けられなかった。捕れるボールだった」。悔しさをにじませた。 守備の要として、センバツ5試合無失策の堅守を支えた。決勝でも八回裏1死一、二塁の場面で、ライナーを捕って併殺する好プレーを見せた。 3月に卒業した先輩からは勝ち進む度にLINEなどでメッセージが届いた。前チームの主砲、布施心海さん(18)は「毎晩、電話をかけていいぞ」と声をかけてくれた。準々決勝の智弁学園戦の前夜には、「強豪校の名前に気後れするな」と背中を押してくれた。それに応えるように翌日、先頭打者として本塁打を放ち、流れを呼び込んだ。 「(昨年のセンバツが中止になり)先輩の分も背負って決勝に進んだ。日本一をとってきます、と約束したのに悔しい」。甲子園で学んだのは、技術ではなく、まず気持ちで相手に勝つこと。夏に戻ることを誓って、大舞台を去った。【辻本知大】 ……………………………………………………………………………………………………… ▽決勝 明豊 100100000=2 100010001=3 東海大相模