天皇陛下が味わった佐賀の地酒 「伝統絶やしてはいけない」1923年創業の酒造で奮闘する25歳専務
国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産に登録された日本の「伝統的酒造り」。輸出が好調な日本酒は国内の消費量が陰り、酒蔵の数も減り続けている。「日本で愛されてこそ、海外で胸を張って発信できる」。人気銘柄の「鍋島」で知られる富久千代酒造(佐賀県鹿島市)の飯盛日奈子専務(25)は登録を追い風に、佐賀から日本酒文化を守る決意を新たにしている。 【写真】「鍋島」を持ってPRする富久千代酒造の飯盛日奈子専務 10月6日、同市の日本酒バー「HAMA BAR」。国民スポーツ大会に合わせて佐賀県を訪れた天皇陛下が富久千代酒造の「鍋島」を指さし、ほほ笑まれた。「おいしかったです」。声をかけられた飯盛さんは「前日に召し上がったと知り、感激しました」と振り返る。 1923年創業の同社が「地元が誇れる日本酒」を目指して鍋島を世に出したのは98年。量販店の台頭などの影響で経営難が続く中、飯盛さんの父である直喜社長(62)が地域の小売店主と議論を重ねて造り上げた。地道な営業を続けるうちに柔らかな口当たりが評判となり、2011年には世界最大級のワイン品評会日本酒部門で「チャンピオン・サケ」に選ばれた。 日本酒は23年の輸出量が25年前の約3・6倍となった一方、国内では苦境が続く。23年の国内出荷量はピークだった1973年のわずか2割。全国にある酒蔵は22年度現在で1577軒となり、98年度から約670軒も減った。 高校時代に「伝統を絶やしてはいけない」と思い始めたという日奈子さんは21年に入社。蔵人の苦労を改めて知り「日本酒は複雑なプロセスを経て、ようやく完成する。すごいことだと改めて実感した」。主に国内外で営業活動を担い、特に日本酒離れが目立つ同世代へのPRに注力する。 「料理に合う本当においしいお酒を知らないのかも」と考えて企画したのが、昨年4月に開いた「Cafe Brew」。イタリアンやスイーツと相性の良い酒を30種類の鍋島から選んで提供するスタイルで、若者たちの人気スポットになった。 直喜さんが市内の酒造会社と12年に始めた「鹿島酒蔵ツーリズム」も毎年、多くの人を集めるイベントに成長。多良山系の水に恵まれた米どころで、江戸時代から酒造りが盛んだった同市を活気づけている。 「錦を着て郷土に帰ることを願うまえに、先(ま)ず郷土を錦とすることを願え」。同社のモットーは、鹿島市出身の社会運動家、田沢義鋪(よしはる)(1885~1944)の言葉だ。地に足の着いた酒造りこそが、世界に広がる日本酒文化を支えると信じている。 (田中早紀)