小西康陽「渋谷系と呼ばれて今がある」 ピチカート・ファイヴ結成秘話「ここまで酷いのかと」
歌は地球上で最高の“楽器”
――ピチカート・ファイヴは「渋谷系を代表するアーティスト」と呼ばれています。改めて渋谷系と呼ばれていることについては。 「とてもありがたいと思っています。僕たちがデビューして何年かは、当時のレコード会社に『何と例えたら良いのか分からない音楽』と言われていました。だから『渋谷系』と呼ばれたことで、その時代の音楽として認知してもらえたことで今があると思っています」 ――小西さんは、これまで「時代に左右されない曲」と「時代に合わせた曲」、両方の曲を数多く作ってきました。 「それは筒美京平先生が、とっくの昔に見抜いていたことなんです。わりと音楽の芯にあたる部分は、時代に左右されることなく全く変化していません。では新しいと思うのは何かというと、アレンジなんです。分かりやすく言うとその曲に着せる洋服(=アレンジ)が、時代やファッションによって変わっていくという感覚です。だから裸になったら同じなんですよ」 ――では、小西さんが、ピチカート・ファイヴっぽさを持っていると感じる今のアーティストがいたら教えてください。 「それを挙げるのは、相手にとって失礼にあたるかもしれないけれど、YOASOBIさんにはそれを感じました。すごく軽やかでユーモアがあるし、音楽的にも『すごくしっかり作っているな』って思いますね。いいなと思います」 ――最近の音楽の楽しみ方を教えてください。 「最近はどっちかというと、プライベートで音楽を楽しむ時間を大切にしているから、わりと新しい音楽をインプットする習慣がなくなっています。だからこそ今の音楽が新鮮に聴こえてくるというのはあるんでしょうね」 ――あらためて小西さんにとって歌とは。 「今、地球上にあるどの楽器の中でも最高の“楽器”だと思います。何しろ表現力は幅広いし、言葉や表情など、その人の全てを伝えられる人類最高の楽器かな。自分の仕事は作詞作曲だと思っているので、誰かに(作った楽曲を)歌ってもらえた時が一番の喜びですね」 ――最後に、作詞作曲家・小西さんから見たご自身の歌声はどんな楽器でしたか。 「また酷な質問を(笑)。鳴らない楽器だな」 □小西康陽(こにし・やすはる)1959年2月3日、北海道札幌市出身。青山学院大卒。1984年にピチカート・ファイヴを結成し、翌85年にメジャー・デビュー。代表作は『東京は夜の七時』など。2001年に解散。また作家、プロデューサーとしてSMAP、かまやつひろし、夏木マリ、小倉優子ら数多くのアーティストの作品を手掛け、『慎吾ママのおはロック』(2000年)はミリオンセラーを達成する大ヒットとなった。
福嶋剛