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柳家喜多八さんの訃報に涙止まらず 落語家三人の気遣いでさらに涙

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西日本新聞

放送作家・海老原靖芳さん聞き書き連載(91)

 あれは「佐世保かっちぇて落語会」の準備に忙しかった2016年5月18日だったと記憶しています。その4日後、12回目となる公演には入船亭扇遊さん、柳家喬太郎さん、春風亭一之輔さんと、人気も実力もてっぺんに立つお三方が来てくれるので、弾む気持ちで仕事をしていました。 【写真】笑いあり、涙ありの半生を振り返る海老原靖芳さん  その一人、扇遊さんから電話がありました。落語会の問い合わせかと思いましたが…。「実は、昨夜、喜多八が亡くなりました」。柳家喜多八さんが、がんで亡くなったのです。66歳の若さでした。  しばらく言葉が見つかりませんでした。長らく大腸がんを患っていた喜多八師匠。前年の師走の落語会では、歩けない状態ながらも佐世保に来てくれました。やせ細り、頬骨が出た姿を目のあたりにして、死期が近いのではないかと思ってはいましたが、目にはまだにらみつけるような力がありました。迫真の「うどん屋」を口演してくれ、噺家(はなしか)としての覚悟と矜持(きょうじ)を見せてもらいました。喜多八さんは本物でした。  覚悟していたものの、死を知らされ動揺しました。悲しくて、悲しくて。それでも、4日後に控えた落語会に気持ちを切り替えなければなりません。準備を進め、当日を迎えました。  演目は喬太郎さんが「お菊の皿」、一之輔さんが「青菜」、扇遊さんは「片棒」。会場は沸きに沸いて終演となりました。私は最後のあいさつで、喜多八師匠が亡くなったことをお客さまに伝えようとしましたが、不覚にも涙があふれて言葉が出ません。観客席がかすんでしまい、立ち尽くして号泣するばかりでした。  そこへ喬太郎さんと一之輔さんが飛び出してきました。2人は既に着替えていて普段着姿です。「まあまあ、主宰者が泣いてどうすんの。喜多八師匠も笑ってますよ」と泣き崩れる私をなだめ、支えてくれました。おかげで会場も落ち着きました。  あの時の両師匠の心遣いには、今も感謝しかありません。後で聞いた話ですが、トリを務めた扇遊さんが舞台袖で私の様子を見て、2人に「行け!」と。扇遊さんも着替えた後に出てきて、明るく振る舞ってくれました。その気遣いに、また涙。今度はうれし泣きでしたが。  こうも泣いてばかりだと「よせよ、みっともねぇな」と喜多八さんに叱られそうなので、次回は私だけが知っている楽しい思い出を話しましょうかね。  (聞き手は西日本新聞・山上武雄) ………………  海老原靖芳(えびはら・やすよし) 1953年1月生まれ。「ドリフ大爆笑」や「風雲たけし城」「コメディーお江戸でござる」など人気お笑いテレビ番組のコント台本を書いてきた放送作家。現在は故郷の長崎県佐世保市に戻り、子どもたちに落語を教える。 ※記事・写真は2019年10月03日時点のものです

西日本新聞

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