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リベラルこそ「国家」を信頼していたのかも(古市憲寿)

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デイリー新潮

「緊急事態宣言」が発出された4月7日の夕方、フジテレビにいた。緊急特別番組に出演するためだ。僕は「コロナという名目で、堂々と他人と距離を取れて心地いい」と冷めた発言をしたのだが、共演した木村太郎さんは「宣言はウィルスに対する宣戦布告だ」と盛り上がっていた。

 毎日新聞の世論調査によれば、宣言が出されたことを「評価する」人は72%に上ったものの、時期が「遅すぎる」と考える人も70%いるという。要するに、この宣言を大半の国民が待ち望んでいたわけだ。  しかし不思議なのは一部の「リベラル」や「左翼」だと思われていた人までが声高に「早く緊急事態宣言を出せ」とか「欧米のようにロックダウンをしろ」と主張していたことである。  日本の「緊急事態宣言」が個人に対してできるのは自粛要請。しかし主権が部分的に侵害されるのは間違いない。たとえば千葉市長はツイッターで「夜のクラスター発生を防止するべく、県警に対してナイトクラブ等への一斉立ち入りなどの取り締まり強化を要請しています」と述べていた。この発想が一歩進めば、街を出歩く人々に対して警察が活動の「自粛」を求める、といった事態もあり得る。  筋金入りの国家主義者がこうした統制を歓迎するのは理解可能だ。しかし「安倍総理はヒトラーだ」などと主張し、国家主義を警戒していた人までが「緊急事態宣言」や「ロックダウン」を待望するのはなぜなのか。  もしかしたら、彼らこそ「国家」を信頼していたのかも知れない。過剰に安倍政権を警戒していた人には、「悪いやつら=実は賢いやつら=何でもできるやつら」という思い込みがあったのではないか。いざとなれば、安倍政権はすぐに戦争を起こしたり、徴兵を開始したり、国民を管理下に置くことができるとでも思っていたのではないか。  その陰謀論を反転させれば、今のコロナを巡る状況も、「国家さえ動けば全て解決する」という楽観論になり得る。だから「国家よ、さっさと何とかしろ」となるわけだ。口先ではいいことを言うものの、結局は先生頼みの「学級委員」にどこか似ている。  一連の騒動でわかったのは、日本はとても戦争など不可能な国であることだ。そして有事においては、大衆よりも政治家が抑制的であること、特に安倍総理は調整型のリーダーであることも確認された。疫病対策という大義名分があり、超法規的措置さえ許されそうな世論の中でも、多くの政治家や官僚は抑制的だった。「戦後民主主義」はしっかりと生きていたのだ。  僕自身、そのことが確認できてよかったと思っている。自由をあきらめた独裁制は、いい独裁者に巡り会えない限りは最悪だ。  もちろん「リベラル」や「左翼」も一枚岩ではない。きちんと「緊急事態宣言に異議あり」と首相官邸前でデモを行った人々もいたようだ。思想的に筋は通っているものの、疫学的にはとても支持できないのが悲しいところである。 古市憲寿(ふるいち・のりとし) 1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出し、クールに擁護した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目される。著書に『だから日本はズレている』『保育園義務教育化』など。 「週刊新潮」2020年4月23日号 掲載

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