ウェッジ社の営業部員が選ぶ「Wedge ONLINE」2024年の年間おすすめ記事5選
〈戦後の日本人画家が歩んだ数奇な運命〉故郷を失った藤田嗣治と国吉康雄、そのアメリカでの〈対決〉2024年5月12日
【選定理由】 戦時下の複雑な世相に振り回された二人の画家の波乱万丈な生涯を紹介しています。太平洋戦争の終戦80年を迎える2025年。様々な角度から、戦争について考えてみるのはいかがでしょうか。 後に文化勲章も受賞した洋画家・野見山暁治はその年の秋に出征のため東京美術学校、いまの東京芸術大学美術学部を繰り上げ卒業しているから、『アッツ島玉砕』と作者の藤田嗣治の姿を見たのは卒業直前の1943(昭和18)年9月に上野の東京都美術館で開かれた〈国民総力決戦美術展〉の一場面であろう。 〈学校で絵を描いていたら誰かが面白いぞ、と大声をあげながら教室に入ってきた。今なァ、美術館に行って、お賽銭箱に十銭投げるとフジタツグジがお辞儀をするぞ。本当だった。隣の美術館でやっている戦争美術展にさっそく行ってみたら、アッツ島玉砕の大画面のわきに筆者の藤田嗣治が直立不動でかしこまっていた。当世規定の国民服で、水筒と防毒マスクを左右の肩から交互させて背負っている。脚には革の長靴をはいて、ともかく見事ないでたちだ。もちろん頭は五分刈りだったが、これもまた似合っている〉(野見山暁治『四百字のデッサン』河出文庫) 『アッツ島玉砕』は日本の敗色が強まる第二次世界大戦後期、厳寒の北太平洋の孤島で上陸する米軍との過酷な戦いの末、ほぼ全滅する日本軍の断末魔を大画面に描いた作品である。倒れた累々たる兵士たちを踏み越えて、軍刀を手にして突き進む隊長の山崎保代を中央に配した褐色の画面は重苦しいが、惨い戦争の現実をたしかに伝えている。 【つづきはこちら】 〈戦後の日本人画家が歩んだ数奇な運命〉故郷を失った藤田嗣治と国吉康雄、そのアメリカでの〈対決〉
<「年収の壁」問題を整理する>「103万円の壁」はなぜ変えるべきか?政党間議論の問題点 2024年11月22日
【選定理由】 先日の衆院選から「年収の壁」が世間を賑わせています。しかし「103万円の壁」「106万円の壁」「123万円の壁」などと某大人気巨人駆逐漫画並みに壁が多く、頭が混乱している読者も多いのではないでしょうか。まずは議論の根本となった「103万円の壁」の理解からスタートしませんか? 第50回衆議院議員総選挙以降、メディアで「103万円の壁」問題が取り上げられない日はないと言っても過言ではない。厚生労働省が2025年度の年金法改正を睨み時間をかけて準備してきた保険料負担を避けるため働く時間を抑制する「106万円の壁」撤廃の打ち出しとたまたま時期が重なったこともあり、「103万円の壁」引き上げが「手取りを増やす」のに対し、「106万円の壁」撤廃が「手取りを減らす」ことになると、国民からは大きな批判が出ている。しかも政府からは「103万円の壁」を国民民主党の主張の通り178万円にまで引き上げるとすれば、高所得層に有利で不公平であるとか、財源が約7兆6000億円不足すると、メディアや地方自治体を使って不安を煽る戦略を取ったため、「壁」を巡る議論が加熱している。 ただし、一口に「103万円の壁」「106万円の壁」と言っても、それぞれの「壁」が持っている意味合いや、それぞれの「壁」に対する政党の賛否が異なっているため、議論が混乱している印象が拭えない。 まず本記事では「103万円の壁」問題を整理してみたい。 【つづきはこちら】 <「年収の壁」問題を整理する>「103万円の壁」はなぜ変えるべきか?政党間議論の問題点