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「安倍内閣の象徴」と言われるのに、ニュースでは報じられない 知られざる“内調”の実態

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文春オンライン

ジャーナリスト吉原公一郎のレポートと小説

 ジャーナリストの吉原公一郎(1928~)は清張より少し早く内調の元職員から内部資料を入手していました。すぐに『中央公論』60年12月号に寄稿した『内閣調査室を調査する』は、内閣調査室がアメリカの強い影響下で組織の拡充と人員の育成に努めている様相をあぶり出し、この組織が戦前の内閣情報局の再来になることを危惧した、当時最も内調の実態に接近したレポートであったと思います。  63年に出版した『小説日本列島』では、内調をCIAとつながりのある謀略機関であると糾弾しています。小説を謳いながら流出資料がそのまま引用され、つまり吉原は政府の極秘文書を世に出すために小説を書いたわけです。  極秘文書は段ボール三箱ほどもありました。それでも内調の全貌を暴くには十分ではなく、清張も吉原も部分的にフィクションを交えて小説の形態でしか描き得なかったのです。

政府に味方する世論をいかにつくるか

 52年の内調創設のメンバーの一人だった志垣民郎(1922~2020)は以後26年間勤務し、克明な日記をつけていました。志垣は2019年、その日記をもとに書き下ろした『内閣調査室秘録─戦後思想を動かした男』を上梓。志垣と交流のある私は編者としてかかわっています。20年5月4日、志垣が97歳で死去したため、遺言のような一冊になりました。  日記の内容は同時代の『佐藤栄作日記』や『楠田實日記』などとも照合しましたが実に正確で、戦後の日本をたどる第一級の資料といえます。  当時内調が最も重視したのは日本の共産化を防ぐことであり、志垣が担当したのは世論に影響を与える学者、作家、ジャーナリスト、編集者といったいわゆる知識人に研究を委託して研究費を渡し、政府に味方する世論をつくることでした。日記には対象者が実名で書かれ、その人物評も添えられています。  志垣は初対面の政治家の第一印象も日記に記しており、そこに「凡庸」と書かれた佐藤栄作は、後に内調の知識人対策によって構築した人脈を自らの内閣(1964~72)で大いに活用し、ブレーン政治を開花させることになります。日本の非核三原則「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」は佐藤が六七年に表明したもの  。私は新聞記者業のかたわら2009年から日本の非核政策について研究を始め、この国是はいかにしてつくられたか、政府を陰で支える知識人人脈はそこにどうかかわったのかを知るために、内調そのものを研究する必要に迫られました。そこで当時の内調の幹部を取材しようと志垣の自宅を電話帳で調べて訪ねた。それが志垣と私の交流の始まりでした。手前みそながら、拙著『核武装と知識人─内閣調査室でつくられた非核政策』はその研究論文を加筆修正したものです。

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