寝ぼけてケガをしてついに引退【平野謙の「人生山あり谷あり、感謝あり」】
後悔は…ないとは言えない
5月23日、ナゴヤ(近鉄戦)の通算450犠打? やっているけど、覚えてないな……。右打席で近鉄戦というのだけうっすら。90年に吉田義男さんの日本記録(264犠打)を抜いたときは、ほっとしたのを覚えているけど、その後は、あまり数は気にしなかったな。バントは僕の飯のタネでしたから。好きとか嫌いとかじゃなく、成功して当たり前というんですかね。その後、川相(川相昌弘。巨人ほか)に記録を抜かれたときも何とも思わなかったです。強がりじゃないですよ。近づいたときは、マスコミにも結構、取り上げられたけど、いずれ抜かれるんだろうなと、そんな感じでした。 ずっと打率3割台で来て、最後も.298ですか。それを聞いたらもったいない気がしてきた(笑)。ケガをせず、あのときの積極的に打っていく気持ちがあれば、そのまま2000安打いけたりして……。いや、冗談、いけるわけないでしょ(笑。最終的には1551安打)。ただ、安打と犠打(451)を足したら一応2000は超えてるんですよね(2002)。だからどうしたというわけじゃないですが(笑)。 それで球団から「今年で現役を終えて、来年からはコーチでどう?」と言われた。もっとやりたいという思いは当然あったけど、年下のコーチに「いつまでやるんですか」といびられていたし(笑)、「ああ、潮時かな」と思ったんです。 後悔はない、とは言えない。自分のプレーというより、ロッテに対してですね。移籍してきたとき、僕にしては珍しく張り切って(笑)、「西武の野球を少しでも伝えたい」と思ったんですが、途中、「ああ、このチームは勝つ気ないんだな」と思ってから「まあ、いいや」になってしまった。もっとできたことはあったはずなんですが、俺も染まりやすいからね(笑)。「引退試合するか」と言われたのも断りました。ずっと二軍にいて一軍の試合に出てませんでしたしね。 でもドラフト外で入って、41歳までできたんだから、よくやったと思います。一番の感謝は両親かな。自分たちは早く死んだけど、その分、僕を強い体に生んでくれました。節制も特にはしなかったですよ。西武時代、夏バテ対策を聞かれ、「アイスを食べること」と言ったら笑われたけど、本当だからね。酒をあまり飲まないこともあるけど、カルピスアイスバーを1箱ペロリと食べてから晩飯を食っていた。とにかく、普段の生活はストレスを感じないようにと思っていたこともあります。野球はもうストレスだらけだからね(笑)。 振り返れば、運と努力かな。この世界は運だけでも、努力だけでもダメですからね。所属した3球団には全部思い入れがありますよ。ドラゴンズはプロとしての基礎とチャンスを与えてくれた。ライオンズは勝つために何をすればいいか勉強させてくれた。ロッテは、好きなようにやらせてくれ、コーチとしての勉強もさせてくれた。いいことも、悪いこともですけどね。 PROFILE 平野謙/ひらの・けん●1955年6月20日生まれ。愛知県出身。右投両打。犬山高から名商大を経て78年ドラフト外で中日入団。88年西武、94年ロッテに移籍し、96年限りで引退。俊足堅守の外野手で86年に盗塁王、リーグ最多犠打は7回を誇る。通算1683試合、1551安打、53本塁打、479打点、230盗塁、打率.273。
週刊ベースボール