「サブカルとJ-POP」1980年代編、テクノとバンド、パンク、漫才ブーム、アングラ
サブカルとメイン・カルチャーの壁を壊した一人
DEAR ALGERNON / 氷室京介 1988年9月発売、氷室京介さんのソロ・デビュー・アルバム『FLOWERS for ALGERNON』の中の「DEAR ALGERNON」。この曲をあらためて聴いていて、「リンダ リンダ」とこの「DEAR ALGERNON」が同じところから世の中を見ているなと思ったんですね。「リンダ リンダ」のドブネズミを美しいと歌う、そのある種の美意識。そういう生き方みたいなものと、この氷室さんのただのクズでいいぜっていう認識が、同じところにあるんじゃないかなって。メイン・カルチャーとは違う価値観の持ち主だった。氷室さんはBOØWYで1987年のビートチャイルドに出て、1989年にソロで広島ピースコンサートに出ているんですね。メイン・カルチャーのど真ん中にいた人ではありますが、やっぱりインディーズ的なこと、インディーズ的な何かというのをずっと持ち続けようとした人だったんだなというのも、今回あらためて気づいたことでもあります。松本隆さんが70年代にあったあっち側、こっち側というのを80年代に入って、取り壊していった。あっち側でこっち側的な音楽を作るようになった。氷室さんはこの「FLOWER for ALGERNON」が出て、レコード大賞のアルバム賞をもらったときに、ポピュラリティのあるロックを作りたかったのでうれしいと言ったんですね。彼もサブカルの質を失わずにメジャーで戦った一人だったんだと思います。80年代編最後の曲。1989年、昭和から平成になりました。この人もメジャーでそういう音楽をやっていた人なんだなと思います。 Rising Sun (風の勲章) / 浜田省吾 1988年3月発売、浜田省吾さんのアルバム『FATHER’S SON』の中の「Rising Sun(風の勲章)」ですね。浜田省吾をサブカルかよと思われる方がいらっしゃるかもしれませんが、でも彼の活動はそういう意味ではサブカル的ですね。テレビに出ない、CMは受けない、ライブだけでずっと活動していて。80年代に年間150本のコンサートをやっていた。そして、作品がそれまでのメジャーなアーティスト、所謂メイン・カルチャー側にいるアーティストではやってこなかったコンセプト・アルバムを作っていた。例えば、戦争とか労働とかお金とか国家とかそういうテーマのロックをエンタテインメントとしてやったという意味では、やっぱりサブカルとメイン・カルチャーの壁を壊した一人でしょうね。この曲の中には1945年という言葉が出てきます。戦後の日本の歩みを自分の父親に託した。そんなアルバムでした。個人的な話を言うと、昭和で見た最後のライブと平成で観た最後のライブが、この浜田さんの『FATHER’S SON』のツアーでした。