「サブカルとJ-POP」1980年代編、テクノとバンド、パンク、漫才ブーム、アングラ
漫才ブーム、オレたちひょうきん族
SNAKEMAN SHOW 5 / YELLOW MAGIC ORCHESTRA THE END OF ASIA / YELLOW MAGIC ORCHESTRA 1980年6月に発売になりました、YMOの4枚目のアルバム『増殖』。これは曲ではないですが、ちゃんとクレジットされておりまして「SNAKEMAN SHOW 5」というふうにあります。これ、業界で当時うけましたねー。クールな、シニカルなユーモアというのが「SNAKEMAN SHOW」ならではだなと思いましたが、80年代のサブカルの幕開けはやっぱりYMOだったでしょうね。国内では理解されずに1979年のワールドツアーから火がついて、日本に逆輸入された。そういう火のつき方でした。1980年に初めての日本ツアーが行われて、その後に出たアルバムが『増殖』。YMO+SNAKEMAN SHOW。SNAKEMAN SHOWというのは小林克也さんと編集者、放送作家の桑原茂一さん。この2人が中心で始めたギャグ集団みたいなものですね。 桑原茂一さんというのは『Rolling Stone』というアメリカの雑誌が日本版を出したのですが、そのときの発行責任者だったと思います。この番組は今のRolling Stone JapanのWebで、毎回全文が文字起こしされている。この話、番組でしたことないやと思って改めてお伝えしているのですが、そういう関係なんです。このSNAKEMAN SHOWは大阪から火がついたんですね。放送禁止をものともしないギャグとコントというのがうけました。で、YMOとコラボしたんですね。 1982年というのは原宿で日本初めてのクラブ、ピテカントロプスが開店して、ここにも桑原茂一さんとかSNAKEMAN SHOWが関わっていましたね。YMO、プラスチックス、テクノポップの発信地になりました。ピテカントロプス。この間、ピテカンの本が出ましたね。80年代前半というのは、軽薄短小カルチャーと言われたのですが、軽くて薄くて短くて小さい。この発信地の1つが渋谷のパルコでありまして、パルコ出版から『ビックリハウス』という雑誌が出ていました。パロディ雑誌ですね。キッチュ、ユーモア、パロディというのが旗印でSNAKEMAN SHOW、YMO、そしてこの人も欠かせない一人でありました。 おいしい生活 / 矢野顕子 1982年に発売になりました矢野顕子さんの「おいしい生活」。この曲はアルバム『愛がなくちゃね』に入っておりました。その年のパルコのCMのコピーがこの「おいしい生活」。書いたのは糸井重里さんで、プロデュースしたのがONアソシエイツの大森昭男さん。大森さんの名前はしょっちゅう出てきますよ。渋谷がカルチャー、サブカルの発信地になっていた。それまでは新宿でしたからね。この頃からカルチャー路線ということで、渋谷が発信地になりました。CMと音楽がサブカルになった。これが80年代前半ですね。軽いでしょう。でも、とっても生活感があってリアルでもありますね。矢野顕子さんの「ごはんができたよ」とか、「ラーメンたべたい」っていう曲なんかもそういう例ですね。『ビックリハウス』には「ヘンタイよいこ新聞」というページがありまして、糸井さんが編集長だったのかな。この「ヘンタイよいこ」のことを最近新聞で書きましたら、そんなタイトル使っていいんですか? ヘンタイよいこっていうのはコンプライアンス大丈夫なんですか?って言われました。 今、そういうこと気にしてるんだと思って今のジャーナリズムがいかに窮屈かというのを思い知らされたわけですが、80年代前半のこういう流れの中にもう1つありました。漫才ブーム。オレたちひょうきん族。その主役の人がこんな歌を歌っております。 浅草キッド / ビートたけし 1986年発売、ビートたけしさんの「浅草キッド」。いつかこの曲をラジオで流したいなと思っておりましたが、漫才ブームの立役者ですね。そもそもは関西で火がついて東京に流れてきたのが、この漫才ブームですね。関西テレビの『花王名人劇場』。そしてフジテレビの『THE MANZAI』というのが、その発信地でした。いっぱい漫才の人たちが出ましたね。B&B、ツービート、紳助・竜介。みんなおもしろかったですね。ザ・ぼんちの「恋のぼんちシート」というのがフォーライフ・レコードから出て、50万枚売れたという時代もありました。この「浅草キッド」は1986年。そういう漫才ブーム、お笑いブーム、ひょうきん族の嵐のようなブームが終わって、ちょっと祭りの後みたいな気分の中でたけしさんはこれを歌ったんでしょうね。俺はやっぱり浅草なんだよな、そんな気分が滲んでおります。この詞曲はたけしさんなのですが、小説『浅草キッド』も書きました。ブームに流されなかった人です。