「サブカルとJ-POP」1980年代編、テクノとバンド、パンク、漫才ブーム、アングラ
音楽評論家・田家秀樹が毎月一つのテーマを設定し毎週放送してきた「J-POP LEGEND FORUM」が10年目を迎えた2023年4月、「J-POP LEGEND CAFE」として生まれ変わりリスタート。1カ月1特集という従来のスタイルに捕らわれず自由な特集形式で表舞台だけでなく舞台裏や市井の存在までさまざまな日本の音楽界の伝説的な存在に迫る。 2024年7月の特集は、「サブカルとJ-POP」。802でもやらない夏休み自由研究というテーマのもの、2カ月間に渡ってサブカルと音楽の話を渡り掘り下げていく。 こんばんは。FM COCOLO「J-POP LEGEND CAFE」マスター・田家秀樹です。今流れているのは中島みゆきさんの「時代」。1975年発売の2枚目のシングル。2018年に発売になった『中島みゆき ライブリクエスト -歌旅・縁会・一会-」からお聴きいただいています。今月の前テーマはこの曲です。来月もこれですね。 時代 / 中島みゆき 今月はサブカルとJ-POPの4週目、80年代編。激動の70年代が終わってバブルに向かってみんなが浮かれている。そんな10年間ですね。70年代にあっち側、こっち側という業界の中の1つの壁があったという話は折に触れてしておりますが、これを置き換えるとメイン・カルチャーとサブカルチャーという分け方でもあったんですね。その壁がなくなって、それまでサブカル側にあった音楽がメイン・ストリームを席巻していくというのが80年代の10年間。時にはお茶の間から顰蹙を買ったりしながら、若い人たちの喝采を浴びたという、そんな曲をお送りしていこうと思います。今週も曲紹介なしです。 い・け・な・い ルージュマジック/ 忌野清志郎 坂本龍一 1982年2月発売、忌野清志郎と坂本龍一「い・け・な・いルージュマジック」。RCサクセションは、1980年にアルバム『RHAPSODY』で70年代の姿と全く違って再登場してきました。そして、「雨あがりの夜空に」で70年代とは違う活躍を始めるという、そんな時期。そして坂本龍一さんはYMOで爆発的な人気を得ていたという、そういう2人。不遇の70年代を象徴する2人と言っていいかもしれませんが、清志郎さんはこれが初めてのソロの活動でした。80年代のJ-POPとサブカル。その中でテクノとバンドという要素がとても重要な要素であるんですけども、その両方の立役者がお化粧して登場した資生堂のCMでした。もともとのコピーは「素敵なルージュマジック」。それを「い・け・な・い」に変えた。「い・け・な・い」の方がかっこいいでしょ。これがサブカル的でありました。 メシ喰うな! / INU 1981年3月に発売になりました、「INU」と書いて「いぬ」。INUのメジャー・デビュー・アルバム『メシ喰うな!』から「メシ喰うな!」。すごいでしょう。俺の存在を否定してくれ!。80年代初頭の自己否定の形というのは、これだったんでしょうね。70年代後半に日本の音楽シーン、ロックシーンのサブカルの1つ、パンクです。INUは1979年に大阪で結成されたのですが、それまでのバンド名もすごいですね。腐れおめこ。町田町蔵さんを中心にしていたバンドで、町田町蔵さんは今や町田康さん。芥川賞作家ですね。 パンクのムーブメントは福岡からまず押し寄せてきました。サンハウスとかARBとかロッカーズとかルースターズとかTHE MODS。関東にはアナーキーとかLIZARDとかフリクションとか紅蜥蜴とかいましたけども、象徴的な映画がありました。1982年『爆裂都市』。監督が1980年に『狂い咲きサンダーロード』で話題になった石井聰亙監督ですね。埼玉の川口というところの鋳物工場跡でロケをやっていたのですが、戸井十月という友人がいて、彼が出ていたので「ロケ見に来いよ」って言われて見に行ったことがありました。ちょうどこのロッカーズとスターリンが対立して、街中で乱闘のようなライブをやるという、そういうシーン、すごかったですね。スターリン自身もステージに臓物が飛び交うとか、そういうライブが行われておりましたが。 で、泉谷しげるさんもその映画に出ていましたね。パンクの影響を一番受けたメジャーなアーティストは泉谷さんじゃないでしょうかね。泉谷さんはヘルメットを被って工事現場のライトを点けて、原色の金ラメの服を着てパンクをやってましたからね。そういう時代でした。1980年代のサブカル、路上でしたね。代々木の歩行者天国から竹の子族とか登場しました。なめ猫というのがありましたね。暴走族風の格好をした猫。なめ猫、なめんなよ。あれどうしたんでしょうね。そういう中でこの人たちも街中でも流れました。