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甲賀忍者はちゃんといた。忍者に興味をもつ方は必読―渡辺 俊経『甲賀忍者の真実』磯田 道史による書評

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◆子孫の意地、大量史料で実在を証明 本書は著者がすごい。忍者本は山ほどあるが、こんな本はない。ほんとうに曽祖父が忍者で、それをつゆ知らずに育ったひ孫が書いた本だからである。私は全国の忍びの古文書を探す過程で、十年ほど前、著者の渡辺俊経(としのぶ)さんに初めて会った。甲賀の杉谷地区の築数百年の屋敷に座るその人は知的で上品な印象であった。京大工学部を出て、大手化学会社に勤めていたという。忍者の子孫は薬品関係が多い。薬剤師・医者・化学会社、やっぱりと思った。 「ここへ来た研究者は磯田先生が二人目です。服部勲(故人、甲賀地域史)という方がこの杉谷に来て私に道を尋ねました。近年、鬼頭勝之という名古屋の研究者が五人組の尾張藩の甲賀忍者の論文を書き、そのなかの一人が渡辺善右衛門。その子孫の家はどちらですかと。私はポカンとして、答えました。善右衛門は私です。世が世なら、私が善右衛門……」。そして、渡辺さんが屋敷の中を探すと、出てくるわ出てくるわ忍者の古文書が。なんと百五十点。忍術書もあった。退職後、渡辺さんは、甲南忍術研究会の会長となり、家蔵の古文書をもとに広く甲賀忍者の研究をはじめた。それから二十年、書かれたのが本書である。 書かれたのには、忍者の子孫の「憤慨」があったようである。まえがき、にある。「大方の学者先生は古文書や先人の文献とやらを駆使してもっともらしい説明をなさるが、実は現地の実情が全く分かってない空論であることが多い」。自分のことか、と思い、ドキリとしたが、「磯田道史氏のような例外を除くと」と、書いてくれていて、ホッとした。 そうなのである。私も甲賀忍者の調査に入って十年、ようやく論文を書き始めた段階である。忍者は謎が多く、興味本位でさっさと論文にすると、奇妙なものになる。しっかり史料を収集し、家族関係、信仰、学芸、営農の実態などを現地の方々と交流しながらでなければ、とても文字化できない。先日も、忍びの墓をたずね、甲賀の村で密(ひそ)かに忍びの兄の葬儀帳をみつけ、「忍者の家族の葬儀で誰が提灯(ちょうちん)を持つか」から、忍びの人間関係がかなり解けた。こういう研究はすぐには成果が出ない。 私が忍者研究をはじめた頃は、学界でも忍者研究に無言の風当たりが強かった。私も「磯田君は大丈夫なのか」と、大先生に言われたことがある。渡辺さんも歴史研究者は「甲賀忍者など居なかった」「居たとしても哀れな存在で、苦し紛れに忍者の活躍咄(ばなし)をでっち上げた」といっていると、感じた。 事実、そういう類の書物も出された。その論旨はこうである。江戸時代、甲賀地方の上層農民は悔しい思いをしていた。戦国時代には城塞(じょうさい)をもつ土豪武士であったのに農民身分に落とされたと感じていたからである。そこで「甲賀古士」という「由緒」を主張した。忍術を使った戦闘で徳川家康に奉公した歴史を幕府の要人に説明し、忍術書『萬川集海(ばんせんしゅうかい)』を提出し、自分たちも「武士に取り立ててほしい。甲賀は再び甲賀武士の自主管理の地方に」と運動した。今も忍術をもっていないと、幕府に取り立ててもらえない。だから、貧乏になった甲賀の名門農民が「忍者、忍者」と騒いでいただけ、という甲賀忍者虚像論である。『甲賀市史』も忍者を大きくは取り上げてくれなかった、と、甲南忍術研究会の人々は、私にいう。 ところが、である。甲賀忍者はちゃんといた。渡辺さんの家には、曽祖父が、尾張藩の忍びであり、忍術で仕えていた確かな証拠がのこっていた。盟文とよばれる起請文(きしょうもん)である。「尾張中納言様(尾張藩)御忍役人」として隠密に契約し、父子・兄弟・朋友(ほうゆう)でも「語り申さず」という書類が出てきた。尾張藩は木村奥之助という甲賀山伏を甲賀忍び・鉄砲打に採用し、これを藩士身分にして名古屋城下に住まわせた。さらに、奥之助の故郷・甲賀で、渡辺家など甲賀五人の忍びと契約し、甲賀の里に住まわせたまま、名古屋に騎馬で交代参勤させる方式で、忍者部隊を編成したのである。本書では、この五人の忍びの勤務形態や子孫さがしや古文書を探し出していく過程が書かれている。これは地元に住み、忍者の子孫である渡辺さんならではの記述である。 本書は、このように細部だけでなく、古代以来の甲賀の風土も記述し、忍術がこの地方から生じた背景を説明している。渡来人が移住し、仏都・紫香楽宮のあった先進地であり、古代から材木産地であり、「精神性の高いものを求める風土なり気質なり」を残したこと、これが天台宗寺院の大量進出、そして修験道(山伏)の文化につながっていく、という説明である。材木産地で高所作業や河川流通にたけた「杣人(そまびと)」がいて、どこへでも祈祷(きとう)で入り込む識字率の高い「山伏」がいた。この両者が戦国争乱に巻き込まれると、「忍び」が生じるのは理の当然である。こうして生じた甲賀の忍術が戦国期にどのように展開するかも、地元の視点から詳述している。 甲賀忍者に興味をもつ方には必読の書であろう。 [書き手] 磯田 道史 歴史学者。 1970(昭和45)年岡山市生れ。国際日本文化研究センター准教授。2002年、慶應義塾大学文学研究科博士課程修了。博士(史学)。日本学術振興会特別研究員、慶應義塾大学非常勤講師などを経て現職。著書に『武士の家計簿』(新潮ドキュメント賞)、『殿様の通信簿』『近世大名家臣団の社会構造』など。 [書籍情報]『甲賀忍者の真実』 著者:渡辺 俊経 / 出版社:サンライズ出版 / 発売日:2020年02月13日 / ISBN:4883256758 毎日新聞 2020年3月8日掲載

磯田 道史

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