放送法も公選法も「選挙報道を抑制せよ」なんて言っていない、新聞・テレビの創意工夫に欠ける姿勢こそ深刻な課題だ
(西田 亮介:日本大学危機管理学部教授、社会学者) >>「新聞・テレビはなぜ「役に立たない」と見なされるのか? 選挙期間中にこそ高まる政治への関心、なのに報道は抑制的に」から続く 【写真】こんな映像を撮っているだけが選挙報道なのか? ■ 「政治的公平性」定めた放送法は改正が必要か? 改めて、選挙報道はどうあるべきなのか。来年も参院選や東京都知事選などが控えている。 「放送法を見直すべきだ」という声が根強いようだが、筆者の考えでは放送法、おそらくは政治的公平性を定めた第4条の見直し(削除)は却って悪手だ。 (国内放送等の放送番組の編集等) 第四条 放送事業者は、国内放送及び内外放送(以下「国内放送等」という。)の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。 一 公安及び善良な風俗を害しないこと。 二 政治的に公平であること。 三 報道は事実をまげないですること。 四 意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。(放送法第4条より引用) アメリカは1987年に日本の放送法第4条と似た公正原則を撤廃した。現在のようなそれぞれ党派性を強く帯び、相互参照されることの少ないメディア状況になってしまった。同じ途を歩んでしまいかねない。 むしろ運用の改善、とくに報道表現の試行錯誤と創意工夫活発化と公職選挙法の再検討が重要ではないか。
■ 現行法でも「報道を抑制せよ」と述べられていない 前者に関して、筆者は長く情報の「整理、分析、啓蒙(解説)」を核とした「機能のジャーナリズム」の重要性を説いてきたが、これはシンプルに政治の情報発信の高度化に対して、報道も同程度に高度化すべきだというメッセージである。 政治家はいつも嘘をつく。もう少しマイルドにいえば、政治家と政党は自分たちの立場と利益を念頭に置いた発言や主張を行うから、生活者目線での読み解きが必要だというもので、これはSNSや動画が主流になる時代でも同様のままである。 より具体的にいえば、通常時の報道を選挙運動期間中も、既存媒体とネットで提供すべきというのが筆者の認識だ。 そもそも放送法も、公選法も選挙運動期間中に、報道を抑制せよということを述べていない。それどころか、報道や評論の自由を強調してさえいる。 (新聞紙、雑誌の報道及び評論等の自由) 第百四十八条 この法律に定めるところの選挙運動の制限に関する規定(第百三十八条の三の規定を除く。)は、新聞紙(これに類する通信類を含む。以下同じ。)又は雑誌が、選挙に関し、報道及び評論を掲載するの自由を妨げるものではない。但し、虚偽の事項を記載し又は事実を歪曲して記載する等表現の自由を濫用して選挙の公正を害してはならない。 (選挙放送の番組編集の自由) 第百五十一条の三 この法律に定めるところの選挙運動の制限に関する規定(第百三十八条の三の規定を除く。)は、日本放送協会又は基幹放送事業者が行なう選挙に関する報道又は評論について放送法の規定に従い放送番組を編集する自由を妨げるものではない。ただし、虚偽の事項を放送し又は事実をゆがめて放送する等表現の自由を濫用して選挙の公正を害してはならない。 (それぞれ「公職選挙法」から引用) 日本新聞協会もかつてはこうした報道や評論の自由の重要性を確認する声明を出している。 ◎日本新聞協会「公職選挙法第148条に関する日本新聞協会編集委員会の統一見解(要旨)」 現在の放送事業者や新聞社はデジタル化の遅れと経営課題からこうした問題を正面から真剣に考えていないように見える。 果たして、本当に我々が見慣れたテレビの選挙報道表現でなければならないのだろうか。新聞紙面の表現でなければならないのだろうか。ニュースバリューは変化していないだろうか。 それらをろくに考慮せず、報道表現の試行錯誤や創意工夫がほとんど行われていないことこそが第一の深刻な課題といえる。 付記すれば、放送法と公選法のマスメディアに関する「規制」は影響力を念頭に置かれたものである。かつてより影響力が低下することを念頭に置くなら、許容される表現のあり方も変化するものと考えるのが妥当ではないか。