【静岡駅伝】「町の名を背負って走る唯一の経験」飯塚翔太も太田智樹も走った 駿河路からオリンピックへ あす号砲!第25回しずおか市町対抗駅伝
サングラス姿で、両手を下げたまま、ほとんど腕ふりをしない「忍者走り」とも呼ばれる独特なフォームで、前を走るランナーをズバッとごぼう抜きしていく姿は、県民に強烈なインパクトを残した。その後、マラソンで世界陸上、10,000メートルで東京五輪の舞台に立った。 ■日本長距離界の希望 第1回大会からテレビ中継が行われているしずおか市町対抗駅伝。今でも語り草になっている実況がある。 「清水町のホープ、いや、日本の長距離界の希望といってもいいと思います」 これが生まれたのが、第2回大会(2001年)。中高生ランナーが混在する9区で、中学生離れした快走を見せた佐藤悠基選手(清水町)を、実況アナウンサーはこう評した。佐藤選手はその後、実況の通り、日本長距離界のエースへと成長。ロンドン五輪に出場し、38歳となったいまも第一線で走り続けている。 こちらも、駿河路で大きなインパクトを残したのが、いまや、名門・Hondaのエース伊藤達彦選手。結果、8人もの選手が区間新を叩き出す超高速レースとなった第16回大会(2005年)5区(高校生男子)で、伊藤選手も快走を見せる。 「あごが少し上がって苦しい表情ではあるんですが、前への推進力は見事」(当時の実況より) 名門・浜松商高陸上部の門を叩いたものの、インターハイにも、全国高校駅伝にも縁のなかったランナーが、高校最後の大舞台で区間新を記録。全国高校総体でも結果を残した太田智樹選手や荻野太成選手らに続く区間4位で走り切り、大きな自信をつけた。 その後、東京国際大で箱根駅伝に3度出場、Honda就職後、地元で行われた日本選手権で、駿河路での快走を思い起こすような走りで優勝を果たし、東京五輪の10,000メートル代表まで登りつめた。 ■静岡陸上界の“黄金世代” オリンピックでは、東京、パリの2大会連続で入賞、世界陸上でも2大会連続メダリストとなった世界でも指折りの“ウォーカー”川野将虎選手も駿河路とは縁がある。中学時代、卓球部だった川野選手は「駅伝がやりたい」と高校入学後、陸上の道へへと進む。 御殿場南高時代、競歩選手として脚光を浴びる中、第16回大会(2015年)に小山町チームの一員としてエントリー。出走の機会はなかったものの、いまも「小山町代表・川野将虎」として記録されている。