【静岡駅伝】「町の名を背負って走る唯一の経験」飯塚翔太も太田智樹も走った 駿河路からオリンピックへ あす号砲!第25回しずおか市町対抗駅伝
静岡放送
11月30日に開催される「第25回しずおか市町対抗駅伝」。過去、数々のドラマを生んできた大会の開催には、2つの大きな目的がある。ひとつは、静岡県内各市町の活性化や交流促進。もうひとつは、スポーツ選手の発掘・育成・強化だ。四半世紀の歴史を紡ぐ中で、オリンピアンも輩出した。その数、合わせて7人(陸上競技6人、カヌー競技1人)にのぼる。 【写真】駿河路を走った“オリンピアン”のあの頃 4大会連続オリンピック出場、2016年のリオデジャネイロ五輪男子4×100メートルリレー銀メダリストの飯塚翔太選手。いまでこそ、日本短距離界のレジェンドともいえる飯塚選手だが、小学6年生の時、第4回大会(2003年)に浜岡町(現御前崎市)の2区走者として、駿府城公園の内堀の周回コースを駆け抜けた。 ■「1860メートルという距離、今でも覚えてる」 「町の名前を背負って、いろんな世代で駅伝をすることは(自らの競技人生の中で)多分唯一だと思う」と大会の重みを語る飯塚選手。当時の記憶は、いまも鮮明だ。 「(2区は)1860メートルという距離、今でも覚えている。短距離とは違い、駅伝だと、多くの人が沿道にいて『がんばれー』と応援してくれる。これがうれしくて、前にいる選手を1人でも多く抜かしたいと必死で走っていたら、(自分のレースが)終わっていた」 当時のタイムは、6分20秒で町村の部区間7位。「市町駅伝に出て、多くの人に見てもらって、応援してもらうという喜びを感じるのは最高」。この感動が飯塚選手を12年後、五輪のメダリストへと成長させた。 すい星のごとく、駿河路に現れたのが、安藤友香選手。愛知・豊川高校卒業後、当時、所属していたチームがある御殿場市のメンバーとして、第14回大会(2013年)に出場すると、実業団や大学生など、有力選手が顔を揃える4区でいきなり区間新&区間賞。翌、15回(2014年)は浜松市中央で、16回(2015年)は浜松市北部で出場し、3大会連続で区間賞を獲得した。