航空史上最悪の事故から39年、人生を変えられた遺族の思いを聞いた 520人犠牲の日航機墜落、御巣鷹「慰霊登山」に同行して
「希望を持てないと頭では分かっていたが、何とか生きていてほしいと願い続けた」 兄の遺体は、ばらばらの状態で見つかった。 ぼうぜんとしたまま大阪に戻った。伊丹空港には父の知人らが待っていて、父の肩をたたいた。「厳格だった父の涙を初めて見た瞬間だった」。家業を継いで家族を支えようと覚悟した。 ▽兄貴に代わり 翌年に留学を終え、1988年に銀行を辞めてアサノに入社。それまでと全く異なる業界で、一から木材のことを学ぶ時間もないまま、経営全般を任された。 社長就任後は、社員らの支えもあってバブル崩壊などの苦境を乗り越えてきた。職場では、兄の肖像画も見守ってくれる。 今年は一足早く、8月3日に尾根を登り、兄の墓標に花を手向け、手を合わせた。 「いつも見守ってくれてありがとう。兄貴に代わり、継いだ会社を守ります」 (取材・執筆=前橋支局・重冨文紀、國近賢宏、赤坂知美、勝田涼斗、社会部・塚本友里江、写真部・横山純太郎)