<私の恩人>板尾創路 芸人になったのは紳助さんがいたから
ありがたいことに、僕らが大阪でちょっとずつ名前が売れてきた頃、紳助さんに言われました。「店で領収書もらう時に『あて名は(個人事務所の)130Rで』と言うたら、店員がクスッと笑いよるんや。それとな、そのあて名で領収書をもらうということは、まるで、俺がお前らにカネを出してもらって、おごってもらってるみたいに思われるやないか」と。 僕らが世間に知ってもらったからこそ起こったこの話を、実にうれしそうに言うてくれるんです。それが、何ともいえず、僕らにとってもうれしかったです。 (2011年8月23日の)引退会見をされてから、実は、まだお話をしていないんです。もう辞めはった人ですし、こちらから会いに行くというのも、お邪魔というか、差し出がましいというか、そぐわないというか…。ただ、紳助さんがいなかったら、この世界にも入ってないですし、今の自分はなかった。 もし恩返しということがあるならば、これからも頑張ってやっていく。行き着くところ、僕ができるのはこれしかないんですよね。 (聞き手・文/中西正男/株式会社KOZOクリエイターズ) ■板尾創路(いたお・いつじ) 1963年7月18日生まれ。大阪府富田林市出身。高校卒業後、アルバイト生活を経験したのち、85年に4期生として大阪NSCに入学。87年に同期のほんこんとのコンビ「130R」を結成する。フジテレビ系「ダウンタウンのごっつええ感じ」などをきっかけに、活動の拠点を東京に移す。映画「私の奴隷になりなさい」(2012年)などで俳優として活動する一方、監督として映画「板尾創路の脱獄王」(2010年)、「月光ノ仮面」(2012年)のメガホンも執る。NHK「着信御礼!ケータイ大喜利」などに出演中。2月26日には、板尾の日常を綴った人気シリーズ「板尾日記9」を発売。3月1日には刊行記念サイン会(午後1時15分からと同3時45分からの2回。各回先着70人まで)を東京・ルミネtheよしもとで行う。 ■中西正男(なかにし・まさお) 1974年大阪府生まれ。大学卒業後、デイリースポーツ社に入社。大阪報道部で芸能担当記者となり、演芸、宝塚歌劇団などを取材。2012年9月に同社を退社後、株式会社KOZOクリエイターズに所属し、芸能ジャーナリストに転身。現在、関西の人気番組「おはよう朝日です」に出演中。