<私の恩人>板尾創路 芸人になったのは紳助さんがいたから
お笑いのみならず、映画監督、俳優としても活動するタレント・板尾創路さん。3月29日公開の映画「平成ライダー対昭和ライダー 仮面ライダー大戦 feat.スーパー戦隊」では仮面ライダー役に初挑戦するなど、50歳になった今も、ますます活動の幅を広げていますが、自らの原点は元タレント・島田紳助さんだといいます。 かつてブレークした「電波少年」ケイコ先生の現在とは
== 高校を卒業して、特にやりたいこともなく、今でいうフリーターみたいなことをしてたんです。大阪という土地柄もあって、お笑いは、好きは好きでした。ただ、あくまでも、お笑いは見るものであって、自分が芸人になるという発想はなかった。だからこそ、高校を出る時も、お笑いの道に進むという選択肢はなかったんです。 ただ、フリーターを2年ほどやった20歳の頃。僕の頭にふと浮かんだのが紳助さんやったんです。僕が高校生の時に“マンザイブーム”があって、その中心となっていたのが「紳助・竜介」。高校の頃は、僕もいわゆるヤンキー。いうたら、自分らと同じような格好をして、同じような言葉を使う、ちょっと上の兄貴みたいな人が漫才をしている。そこに親近感を覚えたんでしょうね。ある日、思い立って、弟子入りに行ったんです。 弟子入りというと、一大決心みたいな感じに聞こえますけど、正直な話、エエ加減な考えやったんです(笑)。「なんか、紳助やったら、自分らと雰囲気似てるし、うまいこと言うたら、弟子とかしてくれるんちゃうん」みたいな感じで。 それで、当時、紳助さんが住んでいた大阪・江坂の家に行きました。夜にフラッと行ったんですけど、呼び鈴を押したら、奥様が出られまして。インターホン越しに、弟子になりたいという思いを伝えると、在宅中やったご本人に確認して「中にお入りください」との言葉が返ってきたんです。 まず、ここで面食らいましてね。というのは、変な話ですけど、弟子入りに行ってはいるものの、どこかで「ま、門前払いみたいな感じになるやろうな…」と思っていた自分がいたんですよね。それやのに、予想外に「お入りください」となった。肩透かしというか…、なんでしょうね、前にあると思っていた壁がなくてつんのめるというか、一気にそういう感じになりましてね。