『光る君へ』道長が逝き<天皇家最強の家長>となった彰子。君臨の背景に「道長と同等以上の権威」を持ったあの人の存在が…
◆大きな後見人 そして道長体制には、もう1人大きな後見人がいた。 道長の正妻で、彰子の母の源倫子である。 寛弘5年(1008)、敦成親王の誕生にあたり、倫子は従一位に叙せられた。 道長の推薦とはいえ、当時正二位だった道長より上位になった。 そして長和6年(1017)以降は道長が従一位になり、同位でいつづける。
◆道長引退後の倫子 倫子は道長が出家したのちも長暦3年(1039)まで出家しなかったようで、道長が安心して出家できるバックアップになっていた。 『大鏡』は、道長全盛時代に唯一源氏でありながら彼女が「幸ひ」人だったといい、『栄花物語』は、倫子の存在があってこそ道長の栄花が達成できたとする。 しかし彼女が、道長が引退したのちも摂関家の中心でいつづけたことはあまり注目されていないようだ。 道長没後も彰子がその権威と権力を行使できたのは、道長と同等以上の権威を持つこの母が現役だったことが大きいだろう。 それは、摂関家の女性集団における彰子のポジションとも関係してくる。 ※本稿は、『女たちの平安後期―紫式部から源平までの200年』(中公新書)の一部を再編集したものです。
榎村寛之
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