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一度決意した手術を前日にキャンセル。検査を怠っていたら2度目のがんに…。女優・原千晶さんの現在

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「2度目の手術から、先日やっと10年を迎えました。私はがんの知識がなく、未熟な決断でがんを悪化させた経験があります」と語るのは女優の原千晶さん。今や、がんは「万が一ではなく2人に1人」の時代。原さんの貴重な体験談から、“もしも”のときに大事なことは何かを考えてみよう。インタビュー後編をお届けする。 ────────────────── 2004年、子宮頸部に腫瘍が見つかった原さん。 翌年2月に腟からメスを入れて、患部のある子宮頸部を円錐形にくりぬく“円錐切除術”を行った。だが、切除部分は病理検査の結果、「子宮頸がん」であることが判明。担当した医師からは、「進行が早いタイプで、悪性度が極めて高い可能性がある」と告げられ、子宮摘出手術を一度は承諾。だが本人はその決断に逡巡し、なんと、手術前日に手術をキャンセル。欠かさず受けると約束した1カ月に一度の検診も、次第に病院から足が遠のくようになってしまったという。 「なんで自分だけ毎月検査をしなくちゃいけないんだろう。みんなは楽しそうなのに…という気持ちが再び強くなって、検診に行くことをやめてしまったんです」 たまたま“円錐切除術”からしばらくは体調がよかったことも、検診をやめてしまった要因に。ところが、最初のがんの告知からそろそろ5年目を迎えようとしていた2009年の秋、原さんは立っていられないほどの激しい腹痛に襲われる。その前から徐々に生理の調子も悪くなり、水のようなサラサラとした無色のおりものも増えていたという。 「異変には気づいていながら、気づかぬふりをしていました。そこに激しい腹痛が起きて、さすがに、これはまずいかもと。でも、検診を勝手にやめたクリニックには気まずくて行けない。仕方なく、都内のがん専門医に行くと、“これはひどいなあ”と最初につぶやかれました。 ああ、なんてことをしてしまったんだろう、と後悔で涙が止まりませんでした。意を決して『子宮全摘の覚悟はできています』と医師に伝えると、『それではすまない可能性もありますよ。膀胱やリンパに転移していたら、手術自体ができないこともあります』と、最悪の事態もありうることを告げられたのです」 診断結果は、子宮体がんがかなり進行した3C(※がんの進行度はステージ0~4期まで5段階。がんの大きさ、リンパ節や他臓器への転移により判定される)。子宮体部にできた新たながんが頸部にも広がり、リンパ節への転移も確認された。 結局、検診をしてくれていた前の主治医が2度目の手術も担当することになり、2010年1月13日に子宮全摘の手術を行うことに。手術は6時間にも及んだという。 「子宮体がんがわかってすぐに、子宮頸がんのデータが必要で、以前の主治医の元を訪れたんです。そのときはもう本当に申し訳なくて、前の手術のこと、検診をサボったことを心から謝罪しました。でも、先生のほうから、“僕が原さんを必ず元気にする。一緒に頑張ろう”と励ましてくれました。 ああ、私はなんでこんなにすばらしい先生の治療を信じられなかったんだろうと。そして、治療を進めるためには、医師との信頼関係を築くことも必要なんだと痛感しました。そのためには、こちらも医師の言葉に耳を傾けて、がんと向き合わなくてはいけないと、徐々に気持ちも変わっていきました」 原さんは、リンパ節への転移などもあり、手術後16日目から抗がん剤の投与をスタート。トータルで6クールの抗がん剤投与を、約4カ月間かけて行った。脱毛はもちろん、全身に電気が流れるような強いしびれに悩まされるなど、抗がん剤治療は手術以上につらいときもあったと振り返る。 「でも副作用もありましたが、必要な治療と今度はきちんと理解していたので、乗りきることができました」 そんなつらい治療の中、大きな支えとなってくれたのが、当時交際中だった彼―その後結婚した、現在の夫の存在。 「子宮頸がんになったことがあると交際中に告げてから、『病院に行かなくてもいいの?』と足が遠のいている私にさりげなくアドバイスをしてくれるような人でした。でも、当時の私はそんな彼の声にも耳を傾けなかった。再びがんが見つかったときは、“彼に悪いことをしてしまった”と、心底反省しました。 子宮を全摘すれば、当然子どもは授かりません。このまま結婚するべきなのかも含めて、彼としっかり話し合いました。別れることになっても仕方ないと思っていたのですが、彼は私の状況も気持ちも受け止めて、穏やかに支えてくれました。 でも、彼の両親からは、これから結婚する嫁ががん治療を始めるというのはさすがに反対されるだろうと、破談も覚悟していました」 抗がん剤の1クール目が終わった頃、彼が両親に話すと、義父からこんな返事が返ってきたそうだ。 「自分で原さんと結婚すると決めたなら最後まで貫き通せ。そのことで彼女を裏切ったり、絶対に許さない」と。原さんはこの言葉を聞いて、号泣してしまったという。 「“がん”になると、恐ろしくて、その後の人生はつらいことしかないのだと思っていました。でも、がんになって、身近な人の存在が本当にありがたく感じられて。これは、がんにならなかったら気づかなかったことだと思います。もちろん、治療はつらく、苦しいこともありました。でも、がんから得たものも大きい。今は、私を成長させてくれた出来事と思えるようになりました」 原さんは現在、タレント活動のほかに、女性特有のがんの患者会「よつばの会」(2011年7月に設立)の代表として、がんの早期発見・早期治療の啓蒙を目的にイベントや講演会を開催したり、患者さん同士の交流会も開いている。 「私の体験は、こんな選択をしないで、という体験談として語り続けていきたいと思っています。がんになったとき、周囲の支えも大切ですが、それ以上に大きな力になるのは、がんについて偏っていない、医学的に根拠がある知識を持っていること。少しでも多くの方に、その思いが届くように頑張りたいです」 原 千晶さん 女優、タレント。1974年生まれ。’94年に21代目「クラリオンガール」でデビュー。2005年、子宮頸がん、’09年に子宮体がんと診断される。治療後は、がん啓蒙活動をはじめ精力的に活動中。著書に『原千晶39歳 がんと私、明日の私、キレイな私。』(光文社)など 取材・原文/伊藤まなび

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