カーリング男子、平昌五輪代表の“その後” 無名選手たちとゼロからの再始動…もがいた末につかんだ“一筋の光”
2018年の平昌オリンピック、日本男子として20年ぶりの出場をはたした男子カーリングチームを覚えているだろうか? カーリングにロマンを見出し、いくつもの苦難を乗り越えていったSC軽井沢クラブ。 あれから3年が経ち、メンバーそれぞれが自らの可能性を追い求めた結果、彼らはまったく別のチームへと変貌していた。 チームにただひとり残留した選手のもとに集まった、エリートとは程遠いメンバー。そして模索の末に見出した一筋の光とは…。 1月24(日)深夜放送のテレビ朝日のスポーツ情報番組『GET SPORTS』では、男子カーリング・SC軽井沢クラブの新たな“冒険”を追った。
◆このチームをなくすわけにはいかない
2005年、長野県軽井沢町で結成されたSC軽井沢クラブ。 中心メンバーは、両角友佑・公佑兄弟、清水徹郎、山口剛史。 結成から10年あまりを経た2016年には、世界選手権でメダル争いを演じ、4位入賞という快挙を成し遂げる。女子ばかりが注目されがちだった日本カーリング界において、確かな存在感を発揮してみせた。 その勢いを維持したまま、2018年には自国開催である長野大会以来のオリンピック出場をはたし、日本男子カーリング界の歴史を切り開いた。 4年後の北京オリンピックではメダルを…。誰もがそう期待していたが、平昌での戦いから半年後、大きな変化が訪れる。 まず、チームから清水徹郎が離脱し、コンサドーレ札幌へと移籍。さらに、チームの絶対的司令塔だった両角友佑が、弟・公佑とともにTM軽井沢という新チームを結成。それぞれが、自分たちの新たな可能性を求めたうえでの決断だった。 ひとりチームに残されたのは、山口剛史。
これからどうするべきか途方に暮れ、ひとりで練習に励んでいた彼は、ある結論に達する。 「お世話になってきた軽井沢やSC軽井沢クラブにしっかりと恩返しをして、さらには結果を出したくて、ここでつづけようと思いました」(山口) カヌー選手になるという夢を諦め、カーリングに専念。15年前に北海道から軽井沢へ居を移し、SC軽井沢クラブに加入した山口は、このチームで飛躍的な成長を遂げた。 だからこそ、チームをなくすわけにはいかない。 そんな思いを胸に、この地であらたなSC軽井沢クラブを作り上げることを決意した。