ミヤコ蝶々の人生描く大阪弁ミュージカル 出演者が語る思い
古い時代の大阪の言葉に近づけたい
蝶々さんの一人息子でもある日向館長は「1977年に私と蝶々で立ち上げた新芸スクールの第1期生に来られとった、ということを聞きまして。これまでいろんな方にミヤコ蝶々をやって頂いたんですけど、今回、ハルカスで2日間ですけども、私はめいこさんに『やったらいいやないか』という軽いノリで言った。でも、本人さんは恐れ多いと。3回か4回言って、ある時から言わんようになった。そんな中で、ようやく今度、『やらしていただきます』というふうなことで。やる以上は自分を出して、私がやってるんやと、そういう思いで2日間頑張ったらそれでええん違うかって」と話した。 さらに「当人をスライドさして、これこそがミヤコ蝶々やというのは難しい。2000年に亡くなって、未だにネットやらなんやらで蝶々さんと言われるので、ありがたいなあと思うんですけども。17年経ってまたミヤコ蝶々を演じて頂けるという点におきましては、非常に喜んでおります」と続けた。 阪上代表は最後に「大阪弁のミュージカルですが、古い時代の大阪の言葉に近づけたいです。若い方にもぜひ観て欲しい」と、ファミリーエンターテインメントをアピールした。 (文責/フリーライター・北代靖典)