【世界に挑む日本人ライダーの足跡】Moto3山中琉聖選手、11歳の再開と決意
ガス欠になるくらい夢中で走った、初めてのポケバイ
ムジェロ・サーキットの表彰台の上で、山中琉聖選手(MTヘルメット - MSI)の印象的な笑顔が弾けました。2024年シーズンのイタリアGPで獲得した3位。それは、2020年シーズンからMoto3クラスへの挑戦を開始し、戦い続けてきた山中選手が、ロードレース世界選手権の舞台で初めて得たポディウムでした。 【画像】世界に挑む日本人ライダー、山中琉聖選手を見る(5枚)
そんな山中選手のキャリアは、バイクに夢中になるところから始まりました。3歳のとき、お兄さんがポケバイに乗っている姿を見て、練習に連れられて行っていた3歳の山中選手の心に「僕もポケバイに乗ってみたい」という気持ちが芽生えたのです。乗ってみると、山中選手はその楽しさにすっかり魅了されてしまいました。 「すごく楽しくてガス欠になっちゃったくらいです。“やばい、ガソリンがない”って、ガソリンをもらいに行ったんですよ!」 そんなスタートのあと、ポケバイからミニバイクレース、そして筑波やもてぎ、鈴鹿のロードレース選手権に参戦。13歳のときにアジア・タレントカップへ……と、順調にステップアップしていったように見えますが、そこはほかの遊びもしたいお年頃です。バイク以外に心を惹かれる時期もありました。 「ポケバイで走っていた小学校低学年のころは、毎日学校までお父さんが迎えに来て、家から10~15分のところにあるポケバイサーキットに直行していました。そのころはまだお兄ちゃんも現役で走っていたんですけど、お父さんが正門で待っているから、2人して“家に帰っちゃおう”って、裏門から逃げたりしました(笑)。もちろん、嫌なときもありましたよ。友達と遊びたいときもありましたしね」
バイクの再開と、プロへの決意
そして、山中選手にひとつの──、いいえ、大きな転機が訪れます。それは小学校5年生の頃でした。バイクに乗ることをやめたのです。 「速く走れなかったし、親にも怒られるからやめよう、って。そのときに、野球やゴルフ、スケボー、スキー、いろいろなスポーツをやってみたんです。野球はちゃんとクラブチームにも所属していました。でも“やっぱりちょっと、違うな”と思っていたんです」 バイクから離れてプレイしていた野球では、ピッチャーとキャッチャー以外のあらゆるポジションをやりました。けれど、周りは小学校1年生から野球に打ち込んできた選手ばかり。一方の山中選手は小学校5年生からの加入で、当時は体格が小柄だったこともあって、ヒットを打っても飛距離が伸びないなど、如何ともしがたい周りとの差がありました。 「やっぱり違うな。そろそろバイクに乗りたいな」 バイクへの思いが募りつつあったある日、山中選手は「たまにはバイクに乗ろうよ」と、走行会に誘われるのです。それが、山中選手の道を変えました。 「その日、乗ったバイクがすごく楽しくて。“やっぱり、もう一度、バイクに乗りたい”と、バイクを再開しました。走行会に行っていなかったら、バイクとは違う道にいましたね」