成功と破綻 2度も破産したフィスカー、激動の歴史 華やかなGTから象徴的なセダンまで
波乱に満ちた新興企業の歴史
創業間もないEVメーカー、フィスカー(Fisker)が破産した。これは先月のニュースだが、10年前にも同じ見出しが躍った。自身の名を会社に冠した創業者は、まったく同じ運命を辿ったのだ。 【写真】災難に見舞われた先進的なハイブリッドセダン【フィスカー・カルマを写真で見る】 (18枚) デンマーク生まれのヘンリック・フィスカー氏がデザインの仕事についたのは1989年、BMWでのことだった。最初の作品はEVコンセプトカー「E1」で、続いてZ8やX5を手がけた後、アストン マーティンに入社し、イアン・カラム氏と共同でDB9とヴァンテージを設計した。その後、フォードで短期間働いた後、2005年にフリーになった。 米カリフォルニア州にフィスカー・コーチビルド社を設立し、同年後半にF-22戦闘機にインスパイアされたデザインのモデルを発表する。メルセデス・ベンツSL 55 AMG をベースとする「トラモント」と、BMW 640 Ciをベースとする「ラティーゴ」だ。 「なぜ成功するのか? 独占的な需要があるからです」とフィスカー氏は語った。「わたし達が求めているのは、ユニークなクルマ、実績ある技術に基づいたクルマ、見てエレガントで運転してエキサイティングなクルマを買ってくれる150人のお客様なのです」 “ユニーク” という言葉は残念な結果に終わる。ラティーゴは量産化に至らず、トラモントもわずか17台しか生産されなかったからだ。2007年にはBMW M6のV10エンジンを搭載したラティーゴCSが登場したが、これもまた波間に消えた。 この頃、フィスカー氏は2つの新興企業にも関わっていた。1社はドイツでスポーツカーを作ることを目指し、もう1社はEVの世界的な普及と民主化を目指していた。 2007年に登場したアルテガGTは、ポルシェ・ケイマンのライバルで、アルミニウム製スペースフレームとフォルクスワーゲンのVR6を搭載している。当時のAUTOCARは「真剣に検討するのに十分な出来」だと評価したが、アルテガ社はわずか153台を生産したところで資金が尽きてしまった。 一方、テスラはモデルS(完成はまだ5年先)をめぐってフィスカー氏に法廷闘争を仕掛けた。フィスカー氏が自身の電動セダン「カルマ」のためにモデルS開発に参画し、その機密情報を盗んだと主張したのだ。 裁判ではフィスカー氏が何も悪いことをしていないのは明らかだとされ、判事はテスラに対し100万ドルを支払うよう命じた。しかし、投資家(映画スターのレオナルド・ディカプリオなど)から10億ドルを調達しようとしていたフィスカー氏にとっては些細な額だった。