立川志の春が落語の修業時代に学んだ“仕事のヒント” 師匠・志の輔からたたきこまれた言葉「俺を快適にしろ」の真意
才能に関する最後通牒は自分が出すもの
落語家として偉そうにお話をしてきましたが、先ほどお伝えした通り、私は見習いから前座になるまでに人の何倍もの時間がかかりました。 落語家としてのスタートラインである二ツ目に昇進するのにも、8年かかっています。前座生活は5年程度で卒業するのが通常ですから、それはもう、長い時間がかかりました。 そんな中で、何が支えになっていたのか。よく聞かれますが、実は迷いが生じることは一切なかったんですよ。 私は三井物産で社会人生活を送る中で落語の世界にほれ込みました。会社勤めも楽しかったけれど、それでも「落語をやりたい。やらないと将来後悔する」と強く思った。その思いは確固たるものだったんです。
いざ落語の世界に入ってからは、私の覚悟を試す意図もあり、師匠からは「才能ないよ」「お前には無理だ」という否定的な言葉を頭ごなしに浴びせられました。 尊敬している師匠がそう言うなら、私に才能はないのだろう。そう思ってしまいそうなところですよね。 ところが私の場合、今できていないことは十分に受け止めつつも、生意気にも「才能に結論を出すのは自分以外の誰にもできないことだ」とも思っていました。 今なお、落語家に必要な才能ってよくわからないんですよ。 普段から面白い人が必ずしも高座で輝くわけではなく、話の運び方の巧みさ、他の人を引き込む話し方など、いろいろな才能が必要とされていて、どこで勝負するかは人それぞれ。 何が武器になるかもわかりません。ボソボソしゃべるのが味になることもあるわけで、そういう才能に関する最後通牒は自分が出すものだと思っていました。
だから、人が言う才能うんぬんは信じないようにしようと。 自分の中に「落語をやりたい」という確固たる気持ちがあり続ける以上、才能がないはずはない。何かしらの才能がいずれ見つかるはずであり、今はまだそれがわからないだけ。 ずっとそう考えていました。
「やりたい」気持ちを超える才能はない
今振り返って、しいて「ここは自分の強みかな?」と思うとすれば「分析力」です。 私はアメリカで教育を受けたのですが、そこでディベートを経験したのが大きいと思います。 「私の意見はこうだけど、相手はこう考えて、こういう論理で来るだろう」と想像した経験が、落語でも「人が聞いたときにどう感じるか」を多面的に考えることにつながっています。 でもね、それが自分の持ち味だと気づいたのって、昨日ぐらいのもんですよ。才能を見つけるのはそれだけ時間がかかるものです。 徒弟制度はすぐに答えを与えてくれず、自分で探し出さなければいけない大変さがありますが、見方を変えれば、師匠方、先輩方が待ってくれる優しさがある。 そうやって自分でたどり着くからこそ、自身のコアたる大事なものが見つかるのだと思いますね。
だから、「どんな仕事が自分に向いているかわからない」と悩んでいたって仕方ないですよ。 「面白そう」「やってみたい」という自分の直感を大事に、世間の評判や口コミの評価を取っ払っていろいろ試してみてください。 幼少期からの訓練が必要なもの以外であれば、「やりたい」という気持ちを超える才能はありません。そして、時間をかけてでも才能を探す覚悟さえあれば、いずれ何かしら見つかるのだと私は思います。 取材・文:天野夏海 撮影:大橋友樹 デザイン:山口言悟(Gengo Design Studio) 編集:奈良岡崇子