【阪神 火の玉ルーキーズ】育成3位・早川太貴 野球人生を大きく変えた高3夏の右肘骨折
阪神が今秋ドラフト会議で指名した9選手のこれまでの足跡を、「火の玉ルーキーズ」と題して振り返る。育成ドラフト3位・早川太貴投手(24=くふうハヤテ)は、オーバーワークがたたり、高校3年夏に右肘を骨折。甲子園大会出場をかけた最後の公式戦に出場できなかったことが、その後の野球人生を大きく変える転機となった。 太貴の運命が変わったのは高校3年の夏だった。南北海道大会札幌支部予選を約3週間後に控えた練習試合中。大麻の主戦投手として調整登板していた時、突如として右肘に異変が襲った。 「投げた瞬間に“ポキッ”という音がはっきり聞こえたんです」 違和感を感じつつも追加で3球を投じたが、以降は腕を上げることさえもできなくなった。「全く力が入らない」。試合後、すぐに病院へ向かった。医師から告げられた診断名は「右肘肘頭(ちゅうとう)骨折」。原因はオーバーワーク。全治3カ月の重傷だった。非情な宣告は同時に、甲子園を目指して戦うつもりだった太貴から青春を奪った。 「やっぱり悔しかったですね。チームメートにも申し訳なくて」 診断を受けて自宅に戻って泣き続けた。当時の様子を母・明美さん(55)は「こちらから声をかけてあげられないくらい泣いていた。とにかく落ち着くのを待つという感じで…」と回想した。 数日後に入院。肘の関節の後方にある肘頭の折れた部分を整復する手術を行った。迎えた札幌支部予選は、1回戦で北海道科学大高に敗退。ギプスを付けた痛々しい姿でベンチ入りしていた太貴は、涙に暮れるチームメートを励まして回った。心境に変化が生まれたのはその頃だ。 「まだ野球をやりきれていない」 小樽商大に進学してからは、より一層野球に打ち込んだ。自宅から往復2時間の道のりを電車で通い、キャンパスライフを満喫する友人に流されることもなかった。札幌学生野球2部で、1年秋のリーグ戦から登板。最速130キロだった直球は、4年時には同147キロに達していた。 卒業後、公務員試験に合格して北広島市役所に勤務。同市役所の軟式野球と、地元の硬式クラブチーム「ウイン北広島」の2チームでプレーする異色の“二刀流”。午前3時半に起床することがあっても、健康な体で野球ができる喜びを誰よりも知っているからこそ、決して苦にはならなかった。1年9カ月間、公務員としての仕事を全うし、昨年「くふうハヤテ」のセレクションに合格した。 最速は151キロまで上がった。地獄を味わったあの宣告から約7年の月日が流れた今、思うことがある。 「あのケガがなかったら僕は高校で野球を辞めていた。そこまでは“やり切れていた”感じはあったので。ケガがあって良かった」 野球の神様は、太貴を見捨ててはいなかった。(石崎 祥平) ◇早川 太貴(はやかわ・だいき)1999年(平11)12月18日生まれ、北海道江別市出身の24歳。大麻泉小3年で野球を始める。大麻東中では軟式野球部。大麻では3年夏に右腕骨折。甲子園経験なし。小樽商大では1年秋、札幌学生野球2部リーグ初登板。北広島市役所に就職後はクラブチームのウイン北広島所属。24年にウエスタン・リーグのくふうハヤテ入団。25試合で4勝7敗、防御率3・22。1メートル85、95キロ。右投げ右打ち。