Tems『Born in wild』徹底解説 アフロビーツが巻き起こす新たな風
デビューアルバム『Born in the Wild』各曲解説
テムズの歩みとアフロビーツの説明に続いて、いよいよアルバムの話をしたいと思う。全体の印象としてはアフロビーツの文脈で語ることもできるし、オルタナティブR&Bとしても語ることができるとも思った。 さっそく再生すると、1曲目からタイトル曲の「Born in the wild」が始まる。静謐なアコースティックギターのコードバッキングから囁くように紡がれる歌。 「野生に生まれ、荒野で育った 開放感についてあまり知らなかった 野生に生まれ、野生で育った、そう あなたが私に野生を与えてくれた」 フックでこのように歌われるのだが、幼少期の閉塞的な環境から成長と共に開放されたことを歌っているのだろうか。シンプルながら繊細でとても美しい曲で、これ以上ないオープニングだ。 短いインタールード「Special Baby」を挟んで始まる「Burning」は静謐な空気をキープしながらスタートする。ここまでビートレスの楽曲が2曲続いたが、丁寧に処理されたドラムのサウンドに心惹かれる。 「自分の世界に閉じこもれば 自分自身を理解できるかも 過去にしがみつき、完全に狂うこともできる でも私は罪を手放す ただ私の翼を探しているだけ もしそれがどこにあるか知っているなら リムジンに乗って行くわ」 プリコーラスで歌われるこのような心情は、オープニングから引き続き幼少期の体験から成功に至る現在までを歌っているのかもしれない。ここまでパーソナルな内容を歌っているのが印象的だ。 4曲目の「Wickedest」。ここまではどこか儚げで夢見るようなニュアンスで歌っていたテムズだが、静かに、しかし力強く「Yeah, I’m the one that got the scene bangin’(そう、私がシーンを盛り上げているのよ)」と宣言する。 刻むビートはクラーヴェのアフロビーツ。ここまでビートレスで始まりR&Bのリズムと続き、リリックの内容も歌い方も儚げだったが、ここで一気に現実に向けて加速し始める。前曲から続くアンビエントなムードを、パッドでキープしている点も見逃せない。 ちなみに「Wickedest」の冒頭、ユニークな音響処理から始まるボイスサンプルはコートジボワールのカルテット、マジック・システムの「1er Gaou」からサンプリングされており、独特な彩りを与えている。 そのままアフロビーツの項でも挙げたシングル「Love Me JeJe」が始まる。ここまでの流れが恐ろしくスムーズで、時間がない方もぜひどうかここまで聴いてみてほしい。その頃にはテムズの描く世界に夢中になっているだろうから。突き抜けながらも上品なメジャーキーの楽曲がここで挟まれるのが素晴らしく、曇り空から差し込む陽光を浴びたような心地にさせてくれる。 実はこの曲には元ネタがあり、ナイジェリアのシンガー、セイ・ソディム(Seyi Sodimu)が1997年に発表した同名の曲を引用したもの。Tiny Desk Concertでもプレイする前に「ナイジェリアの老人たちはみんなこの曲が大好きなのよ」と語っている。 ギターの一見シンプルなバッキングも、美しいパッドやクラーヴェのリズムも絶妙なバランスで成り立っており、本楽曲をプロデュースしたGuilty BeatzとSpaxの高い作曲能力に驚かされる。 6曲目の「Get it Right」はナイジェリアのアサケ(Asake)をフィーチャーしたもの。アサケといえばアフロビーツにアマピアノの要素を取り入れ、世界的ヒットを作り上げた張本人。この楽曲ではシェイカー、ログドラムと呼ばれるベースなど、アマピアノのシンボルを取り入れたサウンドを聴くことができる。アサケはフック部分以降オートチューンをかけたボーカルで登場し、短いながらも存在感のあるフロウを披露している。 8曲目「Gansta」は少しこもった音色のギターのアルペジオと、ドラムとベースラインが絶妙に融合。その上で踊るテムズのボーカルラインは軽やかで力強く、ナイジェリアンポップス、そしてR&Bとして最高の出来栄えだ。 10曲目「Boy O Boy」はギターがメインの楽曲で、シンプルな楽器構成であると、より一層彼女のボーカリストとしての魅力に気付かされる。ここから15曲目「Me & U」までの構成がこれまた見事なので、ぜひアルバムの流れで聴いてみてほしい。 続いて展開される11曲目「Forever」はアルバム中、最も興味を引いたビートだ。一見するとオーソドックスなギターをフィーチャーしたR&Bであるが、スネアドラムの配置に独特の変則性がある。 テムズはナイジェリアの新世代の音楽シーンAlté(オルテ:FNMNLのコラムに詳しい)に出自があり、ビートの不規則さも相まってそのことを想起させられた。この楽曲はAlté CruiseというSpotifyのプレイリストに入っており(2024年6月現在)、アルバムが様々な文脈をもって語ることができる証左であるように思えた。 12曲目「Free Fall」。「私は天使じゃない、深みにはまりすぎた」という一節と共に柔らかいパッドから始まり、ギターのアルペジオがフェードイン。そしてそこからキックが入る瞬間のカタルシスは筆舌にし難い。 そして、ゲストのJ・コールのToxic(有毒)から始まるヴァースの鮮烈さたるやいなや。歌詞に関しては解釈の幅があると思うが、愛、失望、そして2人の関係を毒性に例えるなど、美しいコードの響きも相まって非常に耽美的な印象を受けた。再びクラーヴェのリズムが戻ってきてアフロビーツのグルーヴが宿る。筆者がアルバム中で最も好きな瞬間だ。 キックとスネアでクラーヴェのリズムを刻む14曲目「Turn Me Up」のあと、極めて重要な楽曲である「Me & U」が始まる。これが初めてプロデューサーのGuiltyBeatz(ギルティビーツ)と共作した楽曲らしく、本アルバムで彼は18曲中14曲でクレジットされるなど中核を担っている。彼の発言を引用しよう。 《僕たちは二人とも多才だ。どんなコードを弾いても、彼女がそれに共鳴すれば、曲にできる。いつでもどこでも曲を作れるんだ。計画なんてない。ただキーボードでコードを弾く。一つか二つは合わないかもしれないが、3回目くらいでぴたっとはまる》 《思うに、グルーヴが大切だ。独特でナイスなグルーヴが必要なんだよ。それはティンバランドの影響だ。彼のドラムを聴くと、頭や体を動かさずにはいられない。僕はそれをテムズのために特別なやり方で提供している。そしてそれがうまくいっているんだ。彼女もそれを気に入っている》 《いつも「今日は何が起こるかな」という感じだ。僕たちは子供みたいなもので、ただ自由に自分を表現するんだ》 ※OkayAfricaのインタビューより かつて自身のクリエイティビティを共有できるプロデューサーを見つけられなかったテムズだが、このガーナ出身のプロデューサーと出会ったことで、その才能をさらに飛躍させることになる。偶然かもしれないが、ついに創作上のパートナーを得て初めて制作した楽曲が「Me & U」というタイトルになったのも示唆的だ。 本アルバムで印象的なギターのフレーズを何度も聴くことになるが、本楽曲はその中でもベスト。そして四つ打ちのキックに対してクラップのリズムの刻み方が小気味よく絡み、順にベース、裏拍のバッキング、そしてログドラムと入ってくる。これはテムズなりのアマピアノへのアンサーの一つと考えても良いと思う。ただし、やはり南アフリカのアマピアノとはグルーヴがかなり違う。ナイジェリアとガーナの西アフリカのセンスだ。 シンプルなようでいて、洗練された美しさがある。とても上品な楽曲で、後半のアレンジがまた素晴らしい。「Love Me JeJe」「Free Fall」に続くアルバムのハイライトだ。 パーカッションとアトモスフェリックなパッドが絡む最終曲「Hold On」では、再び自身の幼年期を思わせるパーソナルな表現が出てくることに注目したい。 「これは暗闇の中にいる少女のため これは正しいことをしようとしている人のため これは日の出を待っている人のため これは内なる声を持つ人のため 逃げる必要はない、突破できるのだから 私のすることすべてに守られていると知っている 目にするものに影響されない 常に前を向き、決して後ろは振り返らない」 彼女の出自を知った上でこのような表現を読むと、アルバムの印象がずいぶん変わることに同意いただけるはずだ。 そうしてアルバムは静かに静かに終わりを告げる。