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戦後75年、米軍の事件事故やまず 危険と隣り合わせ、基地の7割集中

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琉球新報

 米軍基地の造成は沖縄戦の最中から始まり、戦後75年がたつ現在も、沖縄には日本にある米軍専用施設の70・3%(1月現在)が集中している。沖縄への過重な基地の集中は、騒音や事件・事故、環境汚染など基地被害を引き起こし、県民は常に危険と隣り合わせの生活を強いられている。  1945年4月、沖縄島に上陸した米軍はニミッツ布告(米国海軍軍政府布告1号)を発し、米国軍政府を設立。南西諸島で日本政府の行政権、司法権を停止した。米軍は日本軍が建設した北飛行場(読谷飛行場)、中飛行場(嘉手納飛行場)を中心に土地を囲い込み、軍用地を確保して本土攻撃の拠点とした。  米軍は住民を収容地区に送り、その間に伊江島などで大規模な滑走路を建設した。普天間飛行場が造られた宜野湾村宜野湾、新城、神山の3集落も、住民が収容地区にいる間にほとんどの土地が米軍に囲い込まれ、古里に戻った住民は、基地周辺のわずかな土地で再出発を強いられた。  52年4月28日にサンフランシスコ平和条約と日米安全保障条約が発効し、日本は独立したが、沖縄は切り離されて米国の統治下に27年間置かれた。その間、日本本土での反米軍基地運動を理由に沖縄に本土の基地が移転。日本への復帰後、基地返還が進んだ本土と比べると、沖縄の基地負担軽減は進んでいない。  米軍普天間飛行場移設に伴う名護市辺野古の新基地建設を巡っては、各種選挙や県民投票で反対の民意が示されたが、日米両政府は「辺野古が唯一の解決策」と工事を強行している。

琉球新報社

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