御神幸の原点か文書確認 射水神社(富山県高岡市)、大火受け氏子が願い
射水神社(富山県高岡市古城)の社殿が1900(明治33)年に高岡大火で焼失した際、元の鎮座地である二上村に戻すよう同村の氏子が願い出たことが、同神社の保管文書から分かった。2年後に同村へ神が渡御する「御神幸(ごしんこう)」が初めて行われた理由となったとみられる。 社史編さんを進める中で田中天美権禰宜(ごんねぎ)が記録を確認した。文書は大火の5日後、二上村の氏子4人が宮司に宛てたもの。遠隔地のため消防活動が思うようにできなかったことを嘆き、同村の旧社殿を仮殿としてほしい旨を伝えていた。 関連資料によると、手続きは進められたが、国と県が認めず旧社殿に戻ることはなかった。2年後に社殿再建を祝し、二上村への御神幸が行われた。田中権禰宜は「氏子の思いが神職の心を打ち、御神幸へとつながった」とみる。 御神幸はその後も、二上村からの遷座の節目に行われてきた。来年は遷座150年を迎え、9月14、15日に行う。
田中権禰宜は「御神幸は氏子との絆が形となった祭り。氏子の思いを後世に伝え、心から喜んでもらえるような祭りにつなげたい」と話す。